日本国憲法 4万字

【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】


日本国憲法

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

このページは荒らしを理由として方針に基づき、新規ユーザーおよび未登録 (IP) ユーザーによる編集が禁止されています。
半保護を解除しても問題ない状態になった場合、半保護解除を依頼してください。
日本国憲法

日本の法令
通称・略称 憲法昭和憲法、現行憲法など
法令番号 昭和21年11月3日憲法
効力 現行法
種類 憲法
主な内容 国民主権基本的人権の尊重、平和主義、象徴天皇制など
関連法令 大日本帝国憲法皇室典範、国会法、内閣法、裁判所法、人身保護法、国際法、国籍法、日本国憲法の改正手続に関する法律、公職選挙法、政党助成法、宗教法人法など
条文リンク 総務省法令データ提供システム
表・話・編・歴
日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう、日本國憲法)は、日本国の現行の憲法典である。

日本国憲法は、第二次世界大戦における大日本帝国の敗戦後の被占領期に、大日本帝国憲法の改正手続を経て1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。施行されてから現在まで一度も改正されていない。そのため、日本国憲法の原本は旧かなづかいで漢字表記は、当用漢字以前の旧漢字体である。

国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を採り、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、国会・内閣・裁判所・地方自治などの国家の統治機構と基本的秩序を定める。この他、戦争の放棄と戦力の不保持が定められていることも特徴的である。

日本国の最高法規に位置づけられ(98条)、下位規範である法令等によって改変することはできない。また、日本国憲法に反する法令や国家の行為は、原則として無効とされる。




目次 [非表示]
1 概要
1.1 「憲法」の意味
1.2 成文憲法
1.3 硬性憲法
1.4 人権・統治規定
1.5 特色
2 基本理念・原理
2.1 憲法の目的と手段(個人の尊厳)
2.1.1 近代憲法日本国憲法の関係
2.1.2 憲法の本質ないし根本規範
2.2 基本的人権尊重主義
2.2.1 自由主義
2.2.2 福祉主義
2.2.3 平等主義
2.2.4 人権保障の限界
2.2.4.1 公共の福祉を根拠とする人権制限
2.2.4.2 その他の根拠に基づく人権制限
2.3 平和主義(戦争放棄
2.4 権力分立制
2.5 国民主権主義(民主主義)
2.6 法の支配
3 日本国憲法の構成
3.1 人権規定
3.1.1 包括的自由権法の下の平等
3.1.2 精神的自由
3.1.3 経済的自由
3.1.4 人身の自由
3.1.5 受益権
3.1.6 社会権
3.1.7 参政権
3.2 統治規定
3.2.1 国会
3.2.2 内閣
3.2.3 裁判所
3.2.4 財政・地方自治
3.3 憲法保障
3.4 憲法改正
4 制定史
4.1 大日本帝国憲法
4.2 日本国憲法の制定
4.2.1 ポツダム宣言の受諾と占領統治
4.2.2 日本政府および日本国民の憲法改正動向
4.2.3 マッカーサー草案
4.2.3.1 マッカーサー憲法改正権限(ホイットニー・メモ)
4.2.3.2 毎日新聞によるスクープ報道の波紋
4.2.3.3 総司令部による意思決定 
4.2.4 日本政府案の作成と議会審議
4.2.5 芦田修正について
4.2.6 日本国憲法の公布と施行
4.2.7 占領下における日本国憲法の効力
5 議論
5.1 成立の法理
5.1.1 大日本帝国憲法の改正の限界
5.1.2 占領軍の関与
5.2 憲法改正手続
5.3 そのほか各種の議論
6 憲法典に述べられていない問題
6.1 領土
6.2 国家の自己表現
7 日本国憲法の解釈
8 注釈・出典
9 関連書
10 関連項目
10.1 用語
10.2 制度・組織
10.3 法律・条約
10.4 その他
11 発行物
12 外部リンク

概要
日本の統治機構
日本国憲法
天皇
立法 行政 司法
国会
衆議院
参議院 内閣(鳩山内閣
内閣総理大臣
国務大臣
 ・行政機関 裁判所
最高裁判所
下級裁判所
地方自治
地方公共団体
・地方議会  
・首長
国民(主権者)
・日本の選挙 ・日本の政党
憲法」の意味
詳細は「憲法」を参照

憲法」という言葉には多くの意味があり、一義的ではない。次の3つの重要な意味がある。

形式的意味の「憲法」:「○○国憲法」など、憲法という形式を与えられた文書(憲法典)のこと。
実質的(固有の)意味の「憲法」:国家の統治の基本を定めた法のこと。
立憲的(近代的)意味の「憲法」:国家の専断を排し、国民の権利を保障するという立憲主義に基づく憲法のこと。
日本国憲法は、

日本国憲法」という形式の文書であることから、形式的意味の「憲法」にあたる。
日本における国家の統治の基本を定めた法典であることから、実質的(固有の)意味の「憲法」を定めているといえる。
基本的人権の保障を定め、そのための統治機構を規定した憲法典であることから、立憲的(近代的)意味の「憲法」を定めているといえる。
成文憲法
憲法は、多くの国では、憲法典という文書の形で制定される。これを成文憲法(成文法)という。日本国憲法成文憲法である。成文憲法の対義語は不文憲法である。誤解を招く表現であるが、不文憲法憲法典の不存在を意味するに過ぎず、憲法が全く文書によって規定されていないことまでも意味するものではない。著名な不文憲法の国としてはイギリスがある。イギリスには成文の憲法典はなく、大憲章(マグナ・カルタ)をはじめとする多くの文書や通常の法律、慣習法などの憲法的規律によって国家秩序が定められている。

硬性憲法
通常の法令の改正要件に比べて、改正のための要件が加重されている成文憲法硬性憲法という。これに対して、通常の法令と同様の要件によって改正できる憲法軟性憲法という。多くの近代憲法硬性憲法となっており、硬性憲法とすることによって、憲法に示された国家の基本的秩序を軽率に改変できないようにした。

日本国憲法は、改正の要件を「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民…の過半数の賛成を必要とする」(96条)と定め、通常の法律の成立要件である「両議院で可決したとき」(59条1項)よりも加重している。したがって、日本国憲法硬性憲法であると言える。

硬性憲法であっても、日本のように改正の少ない国もあれば、ドイツやフランスのように頻繁に改正する国もある[1]。また、イギリスのように、軟性憲法かつ不文憲法であっても、憲法的規律を容易には変えない国もある。

人権・統治規定
憲法には多くの場合、表現の自由や選挙権などの国民の権利についての規定(人権規定)と、立法府や行政府などの国家統治の基本的な組織についての規定(統治規定)が盛りこまれる。この人権規定の背後には自由主義があり、統治規定の背後には民主主義がある。これが近代的意味の憲法の特質である。日本国憲法も、人権規定と統治規定を含む。

特色
立憲君主制や間接民主制、権力分立制、地方自治制度、国防軍文民統制なども多くの国で採用され、憲法典に定められている。日本国憲法でもこれらの多くが採用され、さらに、象徴天皇制というかたちの立憲君主制や、戦力放棄規定、刑事手続(犯罪捜査・裁判の手続き)についての詳細な規定など、日本国憲法に特徴的なものもある。

これら個々の規定・条項にも増して重視されるのは、憲法が国家の基本的な秩序を定めた最高規範であるということから、その背後にある、国のあり方についての理念である。これを「主義」「原理」「原則」などと表現することもある。日本国憲法では、この理念の中心に「個人として尊重」(13条)、「個人の尊厳」(24条)という個人の尊厳の原理(個人主義ともいう)を置く見解が一般的である(異説もある)。個人の尊厳の原理は、人間の人格不可侵の原則とも言う。個人の価値を裁定するのは人間や社会ではなく、一人一人の個人は人間として最大限の尊重を受けるという考え方である。ここに、利己主義や、放縦な他害行為を容認するという考え方とは厳しく区別されねばならない。

基本理念・原理

日本国憲法原本「上諭」(1頁目)

日本国憲法原本「御名御璽(ぎょめいぎょじ)と大臣の副署」(2頁目)

日本国憲法原本「大臣の副署」「前文」(3頁目)
憲法の目的と手段(個人の尊厳)
日本国憲法は、「個人の尊厳」の原理(13条)の達成を目的とする とするのが憲法学の通説ないし定説である。これは、人間社会のあらゆる価値の根元が個人にあり、他の何にもまさって個人を尊重しようとする原理 である。「個人の尊厳」の意味については、具体的に明言されることは少ないが、およそ個々の人間の幸福という意味に理解されている。

個人の尊厳の原理の具体化手段としては、

基本的人権尊重主義
自由主義
福祉主義
平等主義
平和主義
権力分立制
民主主義(国民主権主義)
法の支配
を挙げるのが通説ないし定説といえる。

基本的人権尊重主義は、自由主義と平等主義とから成るが、自由主義を修正するものとして福祉主義も含んでいる。

個人一人一人が、人間として最大限の尊重を受けるからこそ、その基本的人権(自由)は尊重されねばならず、また、そのためには個人一人一人の考えを政治に反映させねばならないことから、民主主義(国民主権)が求められる。そして、個人が尊重される前提として平和な国家・社会が作られねばならないことから、平和主義(戦争の放棄)が採られる。

近代憲法日本国憲法の関係
近代憲法とは、近代立憲主義の精神(憲法に基づいて政治を行おうとする考え)に基づいて制定された憲法である。(権力者による権力濫用を阻止し、名宛人の利益保護を目的とする) そして、近代立憲主義の3原則としては、国民主権・人権保障・権力分立を挙げる説が有力である。日本国憲法は、近代立憲主義の原則を含んでいるといえる。

憲法の本質ないし根本規範
他方で、日本国憲法の中核をなす原理としては、基本的人権尊重主義・国民主権(民主主義)・平和主義を挙げる説が有力である。

一般に憲法は制憲権(憲法制定権力)に由来するものといえるが、日本国憲法については制憲権の上位規範として、個人の尊厳を中核とした原理(基本的人権尊重・国民主権主義・平和主義)の総体(自然法)というべきものが存在する という自然法型制憲権説が多数説である。(制憲権はこの自然法に拘束される)

基本的人権尊重主義や国民主権主義は各国の近代憲法においても重視される。他国の憲法においては平和主義の代わりに権力分立(三権分立)をいれる場合も多い。基本的人権の尊重の背後には自由主義があり、国民主権主権在民)の背後には民主主義がある。この両主義を融合して、自由民主主義(リベラルデモクラシー)ともいう。もっとも、これは両主義が全く並列にあることを示してはいない。自由民主主義は、自由主義を基礎とし、自由主義を実現する手段として民主主義が採られることを示す。これは、民主主義の名の下に、多数決により、広く自由を蹂躙した苦い歴史を踏まえて打ち立てられた考え方だからである。それゆえ、自由主義基本的人権の尊重こそが、憲法の最も重要な要素であるともされる。

これらは、根本法理、根本規範などとも呼ばれ、憲法改正手続を経たとしても否定することはできないと考える(限界説)のが多数説である。

ただし、この改正限界説に立っても、例えば基本的人権尊重主義については、基本的人権の尊重という原理が維持されていれば、個々の人権規定を改正することは可能である。例えば、個々の人権の規定を改正しても基本的人権の尊重を否定する内容でなければよい。
このように、自由主義・民主主義、そして平和主義は、基本的人権の尊重・国民主権主権在民)・平和主義(戦争の放棄)という日本国憲法の三大原理の背後にある考え方として尊重・保障されている。他方、日本国憲法には、自由主義・民主主義・平和主義に一見対立するとも見られる考え方も、その内実として含む。自由主義に対しては「公共の福祉」が、民主主義に対しては間接民主制が、平和主義に対しては自衛権の行使が各々対峙する。しかし、これらは、両者を伴って初めて安定的に機能する仕組みであると言える。

基本的人権尊重主義
基本的人権の尊重とは、個人が有する人権を尊重することをいい、自由主義と平等主義とから成る。

自由主義
憲法自由主義原理が採用されるのは、“個人に至上価値を認める以上は、各人の自己実現は自由でなければならないからであり、また、自由は民主政の前提となるもの”だからである。

自由主義の内容を人権面と統治構造に分けてみると、

人権 自由権の保障 第3章 11条 97条
統治
権力分立制 41条 65条 76条(国家権力の濫用防止のため)
二院制 42条(慎重・合理的な議事のため)
地方自治制 92条〜(中央と地方での抑制・均衡を図るため)
違憲審査制 81条(少数者の自由確保のため)
となる。

当初は、国家権力による自由の抑圧から国民を解放するところに重要な意味があった。基本的人権は、単に「人権」「基本権」とも呼ばれ、特に第3章で具体的に列挙されている(人権カタログ)。かかる列挙されている権利が憲法上保障されている人権であるが、明文で規定されている権利を超えて判例上認められている人権も存在する(「知る権利」、プライバシーの権利など)。

また、権力の恣意的な行使により個人の人権が抑圧されることを回避するため、統治機構は権力が一つの機関に集中しないように設計され(権力分立や地方自治)、個人が虐げられることのないように自由主義的に設計されているといわれる。

基本的人権の尊重は、古くは、人間の自由な思想・活動を可能な限り保障しようとする自由主義を基調とする政治的理念であった。政治的な基本理念である「自由主義」は、国家権力による圧制からの自由を意味し、国家からの自由の理念を示すため、「立憲主義」と表現されることも多い。特に、権力への不信を前提にすることから、単に「国家からの自由」ともいわれる。民主政治の実現過程において、国家権力による強制を排除して個人の権利の保障をするための理念として自由主義は支持された。自由主義は、政治的には市民的自由の拡大、経済的には自由政策の維持として表れるといわれている。さらに、自由主義は、個人の幸福を確保することを意図した理念でもあることから、国民が個人の集合体に変化するのにともなって、国のあり方を決定づける理念として把握されるようにもなった。日本国憲法における国家組織の規定も、国民主権の考え方と相互に関連して、自由主義を踏襲している。

福祉主義
憲法において福祉主義が採られるのは、資本主義の高度化は貧富の差を拡大し、夜警国家政策の下では、経済的弱者の生活水準の確保ないし個人の尊厳の確保が困難となったからとされる。

その内容を人権面と統治構造に分けると、

人権 社会権の保障 25条〜28条
統治 積極国家化(行政国家化)
が挙げられる。

ただし、積極国家化は自由主義原理と緊張関係にあり、一定の限界があるともいわれる。

現代においては、初期の自由政策的な経済によって貧富の格差が生じたことから、自由主義は、社会権所得の再分配など)による修正を受けるようになった。他方で、現代民主主義が個人の自由の保障に強く依存するのにともなって、自由主義は飛躍的にその重要度を増した。特に、ナチス・ドイツが民主制から誕生し、甚大な惨禍をもたらしたことから、国民の自由を保障できない制度は、民主主義といえないことが認識され、自由主義と民主主義が不可分に結合した立憲的民主主義(自由民主主義)が一般化し、自由は、民主主義に欠くことができない概念として多くの国で認知されるようになった。日本国憲法でも、個々の自由と国家が衝突する場面において、自由を優先させる趣旨の規定が見られる(違憲審査権による基本的な人権の保護など)。

平等主義
平等主義は、原則として、「機会の平等」(自由と結びついた形式的平等)を意味し、内容としては、

人権
法の下の平等 14条1項
両性の本質的平等
等しく教育を受ける権利
統治
平等選挙 44条
普通選挙 15条3項
貴族制度の否定 14条2項
栄典の限界 14条3項
が挙げられる。

ただし、資本主義下で貧富の拡大した状況下での弱者の個人の尊厳確保のための修正理念として、平等の理念には「結果の平等〜条件の平等」(社会権と結びついた実質的平等(福祉主義))も含むとされる。

人権保障の限界
憲法における自由主義ないし人権保障とは、国家から侵害を受けないことを意味する。そして、人権が不可侵のものとして保障されている以上、国家は人権を制限できない(国会は人権を制限する法律を制定できず、行政権は人権を制限する行為ができない)のが原則である。

しかしそれでは、例えば通貨偽造を犯した者を処罰することもできず、他人の名誉を毀損する言論を制限することもできず、およそ近代国家は成り立ち得ない。そこで、一定の場合には人権を制限できる(国会は人権を制限する法律を制定できる)とすべきとの価値判断がなされる。

人権を制限できる場合としては、「憲法が特に認めた場合(18条等)」があるが、それ以外にも一般に「公共の福祉」12条を根拠に制限できるとされる。

公共の福祉を根拠とする人権制限
公共の福祉を根拠に人権を制約できるとされる場合、どのような基準・範囲で人権を制限できるか、すなわち「公共の福祉」の意味については争いがあり、22条や29条のような明文がある場合に限って制限できるとする説もある。しかし、通説は、すべての人権について制限が可能と解しており、その理論構成として「公共の福祉は各個人の基本的人権の保障を確保するため基本的人権相互の矛盾・衝突を調整する「公平の原理」であり、したがってすべての人権について制限できる」との論旨を主張している。(一元的内在制約説)(一定の場合には国家はすべての種類の人権を制限できるとすべき との価値判断が最初にあり、その条文上の根拠として「公共の福祉」が用いられ、公共の福祉とは…公平の原理である とする解釈が採られる) このように、公共の福祉を人権相互間の調整原理であると考えることによって、制約はすべての人権に内在するものという結論を導くことになる。そこで、「公共の福祉」という語は明文上、12条、13条、22条1項、29条2項にしかないものの、すべての人権が「公共の福祉」により制約され得ることとなる。

但し、そこでは制限目的の合理性と制限手段の合理性が必要とされ、これらの合理性がない立法は立法権の裁量を逸脱し違憲とされる。但し、制限目的や制限手段の具体的限界や司法審査における判断基準(合憲性判定基準/違憲審査基準)は、権利の性質によって異なる。

その他の根拠に基づく人権制限
公共の福祉を根拠としない場合でも、憲法が特に認めた場合には人権は制限できる、とされる。

憲法に規定がある場合(刑罰・財産収用・租税賦課/徴収・憲法尊重擁護義務)
公共の福祉を根拠とするのに問題があるが、憲法の明文もない事例として、在監関係・公務員関係・未成年者の人権制限がある。これらについては、「憲法秩序の構成要素」であるから という論拠と、未成年者の保護・育成のため憲法が認めている という論拠を主張する説が有力である。
憲法秩序の構成要素とされる場合(在監関係・公務員関係)
未成年者の保護・育成のための措置(未成年者の人権制限)
これらの場合も制限目的の合理性と制限手段の合理性が必要とされ、これらの合理性がない立法は違憲と考えることができる。
国家からの自由という理念から、日本国憲法の重要な原則である基本的人権の尊重が導かれる。前文では「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し(後略)」と規定され、11条では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と宣言されている。また、「表現の自由」(21条1項)など第3章の詳細な人権規定、権力分立による権力集中の防止(これによる権利の濫用の防止)、裁判所の違憲立法審査権(民主的意思決定による基本的人権の侵害を防止・81条)、憲法最高法規性(第10章)など、ほとんどすべての規定が自由主義の理念のあらわれといえる。

平和主義(戦争放棄
平和主義は、自由主義と民主主義という二つの重要な理念とともに、日本国憲法の理念を構成する。平和主義は、平和に高い価値をおき、その維持と擁護に最大の努力を払うことをいう。平たくいえば、「平和を大切にすること」である。

平和主義の内容は、

人権 平和的生存権の権利性 - ただし、判例及び有力説は、平和的生存権の権利性を否定する。
統治
戦争の放棄
戦力の不保持
交戦権の否認
国務大臣文民
とされる。

平和状態が国民生活基盤において重要であることについてほとんど争いはない。むしろ、その平和な状態を国際秩序においていかにして確保するかという点で、激しい論争がある。平和主義は、多くの国で採用されている国際協調主義の一つと位置づけることができる。深刻な被害をもたらした第一次世界大戦後、自由主義・民主主義と結びつき、国民生活の基盤としての平和主義が理念として発展した。

しかし第二次世界大戦後の日本では歴史的経緯をふまえ、日本国憲法前文および9条に強く示されるように、国際協調主義を超えた平和主義がめざされてきたと指摘されることもある。

日本国憲法は9条1項で、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている。さらに同条2項では、1項の目的を達するために「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとし、「国の交戦権」を認めないとしている。つまり、国際平和のために日本は戦力をもたない、ということである。この点について、まず、日本は自衛戦争も放棄したとする解釈がある。この解釈は自衛の為の武力行使さえも行き過ぎると戦争に及ぶものとしたもので、即ち日本は全ての戦争を放棄しているとの解釈である。この解釈の背景には、近代以降の戦争の多くがたとえ侵略的性格をもったものであっても大義名分としては自衛や紛争解決等の名の下に行われてきたことから、「正しい」戦争の範囲を定めることは実際には困難であるという問題意識がある。またこの見解に立つならば、武力を持たなくても安心な世界を実現するにはどうしたらいいかという根本的な問題が議論されなければならないことになる。

他方、憲法9条は、国権の発動たる戦争を放棄しているが、多国籍軍の制裁戦争(国際法上の戦争概念)への参加や、独立国家に固有の自衛権までも放棄することを意味しない、とする解釈もある。この見解によれば、国家がその平和と独立を維持するためには、それを自ら防衛する権能を持つことが求められるからである。そして、自衛のための必要最小限度の実力(自衛隊)は、2項に言う「戦力」にあたらないと解される(1950年代以降の政府見解)。このように、平和主義と自衛権の行使は、対立するものではなく、達するべき目的とそれを実現するための手段という関係にある、という解釈も成り立つとされる。その代わりに政府は、海外派兵および集団的自衛権の行使(自国が攻撃されたわけでもないのに同盟国が行う実力行使に参加すること)は違憲であるという公式解釈上の歯止めを示してきた。1990年代以降は自衛隊海外派遣と憲法9条の平和主義との整合性をめぐって激しい論争が行われている。

平和主義という言葉は多義的である。法を離れた個人の信条などの文脈における平和主義は(一切の)争いを好まない態度を意味することが多い。一方で、憲法理念としての平和主義は、平和に価値をおき、その維持と擁護に政府が努力を払うことを意味することが多い。日本国憲法における平和主義は、通常の憲法理念としての平和主義に加えて、戦力の放棄が平和につながるとする絶対平和主義として理解されることがある。これは、第二次世界大戦での敗戦と疲弊の記憶、終戦後の平和を求める国内世論、形式文理上、憲法前文と第9条が一切の戦力・武力行使を放棄したと解釈できること、第二次世界大戦以降日本が武力紛争に直接巻き込まれることがなかったことによって支えられた、世界的にも希有な平和主義だとされる。この絶対平和主義については、安全保障の観点がないのではないかという意見がある一方で、世界に先んじて日本が絶対平和主義の旗振り役となり、率先して世界を非武装の方向に変えていこうと努力することが、より持続可能な安全保障であるとの意見がある。なお、これらとは別に自衛権は自明の理であり、自衛権の行使は戦争には当たらないとする意見がある。

権力分立制
権力分立制は、国家権力の集中によって生じる権力の濫用を防止し、国民の自由を確保することを目的とする制度である。

権力分立制は、古典的には、立法・行政・司法の各権力を分離・独立させて異なる機関に担当せしめ互いに他を抑制し均衡を保つ制度 といわれ、自由主義的・消極的・懐疑的・政治的中立性という特質を持つ。

ただし、近代においては、ある程度の変容を伴うのが一般的であり、ある程度の変容を伴ったものも、近代的権力分立制として認められる。

日本国憲法では、国会の内閣に対する統制強化 と 司法権の強化 という特徴を持つ。

国会の内閣に対する統制とは、具体的には議院内閣制や国会の最高機関性 であり、国民主権主義と行政権肥大に伴う行政の権限濫用の危険増大に対応したものといえる。

司法権の強化とは、具体的には行政事件についての裁判権違憲立法審査権 であり、法の支配の原理に基づくものといえる。

国民主権主義(民主主義)
民主主義は、平たく「民衆による政治」ともいわれ、この理念をもとにした政治形態は民主制(民主主義制、民主政)と呼ばれる。

民主主義を具体化したものとして、日本国憲法では、国民主権主義(前文 1段1文 §1)が採られる。

「主権」とは、国家の統治のあり方を最終的に決定し得る力である。

そして、国民主権の意味については、国家権力の正当性の根拠が全国民に存すること(代表民主制が原則)のみならず、国民自身が主権の究極の行使者であること(直接民主制が原則)も意味する とする折衷説が通説である。

そして、国民主権の内容としては、以下のものが挙げられる。

人権
参政権
選定・罷免権 15条 44条 (国会議員 44条 地方公共団体の長 93条2項 国民審査 79項)
国家意思の形成に直接参与する権利(国民投票 96項 地方特別法 95項)
参政権を補完する諸権利 (表現の自由 21条 知る権利 21条 集会・結社の自由 21条 請願権 16条)
統治

選挙制度
議院内閣制 66条3項 69条
地方自治
国民票決制 96条 95条
国政公開の原則 57条2項 91条
国会の最高機関性
政党制
国民代表の解釈
国民主権とは、国家の主権が人民にあることをいう(日本国憲法においては国民と表現されている)。主権も多義的な用語であるものの、結局、国民主権とは国政に関する権威と権力が国民にあることをいうとされる。当初は主権が天皇や君主など特定の人物にないところに重要な意味があった。国民主権は、前文や第1条などで宣言されている。国民主権は、統治者と被統治者が同じであるとする政治的理念、民主主義の国家制度での表れである。

民主主義を最も徹底すれば、国民の意見が直接政治に反映される直接民主制が最良ということになる。現に人口の少ない国(スイスなど)や日本でも地方公共団体地方自治法94条の町村総会、74条以下の直接請求)では、現在でも直接民主制が広く取り入れられている。しかし、現代国家においては、有権者の数が多いため直接民主制を採ることが技術的に困難であることや、直接民主制有権者相互の慎重な審議討論を経ず、多数決による拙速な決定に陥りやすいなど、国民意思の統一に必ずしも有利ではないことから、大統領や国会議員などを国民の代表者として選挙で選出し、国民が間接的に統治に参加する体制が採られる。この体制を間接民主制(代議制民主主義)という。日本国憲法は、原則として間接民主制を採用している(前文、43条など)。例外的に、憲法改正国民投票(96条)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条)など一部の重要事項についてのみ、直接民主制を採り入れている。

「民衆による政治」は、「民衆によらない政治」との争いの中で次第に洗練され、現代の民主主義は、より実質的に「民衆による政治」の実現を目指す理念になっている。この理念の下では、単に投票ができることにとどまらず、政治に関する多角的な意見を知り、また発信できることなど、個人の権利が重んじられることが前提とされる。現代民主主義が、自由主義個人主義を基盤にしていると指摘されるのはそのためである。

この「民衆による政治」という理念から、日本国憲法において国民主権が重要な原則として制度化された。前文では、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と表現されている。民主主義の憲法上のあらわれとしては、国民の選挙権(15条)、国会の最高機関性(41条)、議院内閣制(66条など)、憲法改正権(96条)など、多くの規定が見られる。

法の支配
大日本帝国憲法のとる狭い意味の「法治主義」に対置する概念。「法の支配」とは、「人の支配」(つまり権力者の恣意的判断)を排して、理性の法が支配するという概念で、英米系法学の憲法の基本的原理を取り入れたものである。

この「法」は、自由な主体たる人間の共存を可能ならしめる上で必要とされる「法」とされ、国民の意思を反映した法、すなわち日本国憲法である。そこで、憲法に基づいて権力が行使されたか否かを審査する裁判所がなければならず、制度的には、裁判所に違憲立法審査権を与え、憲法の番人としての司法の優位が確立し、「法の支配」が守られる様に担保している。

法の支配の内容としては、

人権
基本的人権の永久不可侵性 11条 97条
法律の留保を認めない絶対的保障 3章
法律の手続き・内容の適正
制限規範ゆえに最高法規性が認められる 97条 98条1項
統治
裁判所の自主・独立性 77条 78条 80条
行政事件を含む争訟の裁判権 76条2項
法令審査権 81条
統治者に憲法尊重擁護義務 99条
が挙げられる。

日本国憲法の構成
日本国憲法の本文は、11章103条からなる。大別して、人権規定、統治規定、憲法保障の3つからなる。人権規定とは、国民の権利などを定めた規定であり、主に「第3章 国民の権利及び義務」にまとめられている。このことから、第3章は、別名「人権カタログ」と呼ばれている。統治規定とは、国家の統治組織などを定めた規定であり、「第1章 天皇」「第4章 国会」「第5章 内閣」「第6章 司法」「第7章 財政」「第8章 地方自治」など多岐にわたる。憲法保障とは、憲法秩序の存続や安定を保つことであり、そのための規定や制度としては、憲法最高法規性が宣言され(98条)、公務員に憲法尊重擁護義務が課され(99条)、憲法改正の要件を定めて硬性憲法とする(96条)ほか、司法審査制(81条)や権力分立制なども挙げられる。

日本国憲法は、本文の他に、上諭と前文が備わっている。

上諭とは、単なる公布文であって憲法の構成内容ではない。しかし、制定法理との関係で問題となり、注目される。この上諭には、「日本国民の総意に基いて」という国民主権的文言と、天皇主権の帝国憲法の改正手続が並列して記されているからである。(下記「制定法理」参照。)

前文とは、法令の条項に先立っておかれる文章であって、その法令の趣旨・目的・理念などを明示するものである。日本国憲法の前文には、国民主権基本的人権の尊重、平和主義という日本国憲法の三大原理が示されている。特に、大戦直後という歴史的背景から、平和主義が強調され、これを根拠に個人の人権として平和的生存権を導く見解もある。もっとも、権利の内容と主体がはっきりしないため、理念的な権利としてはともかく、裁判で主張できるような具体的な法的権利性を前文から直接に導き出すことは困難であると一般的に考えられている(参照:恵庭事件)。

条章構成は以下の通り。全文はウィキソースを参照のこと。各条章の詳細については条章別の記事を参照のこと。


日本国憲法下の統治機構図上諭
前文
第1章 天皇(第1条〜第8条)
第2章 戦争の放棄(第9条)
第3章 国民の権利及び義務(第10条〜第40条)
第4章 国会(第41条〜第64条)
第5章 内閣(第65条〜第75条)
第6章 司法(第76条〜第82条)
第7章 財政(第83条〜第91条)
第8章 地方自治(第92条〜第95条)
第9章 改正(第96条)
第10章 最高法規(第97条〜第99条)
第11章 補則(第100条〜第103条)
人権規定
人権規定は、主に第3章にまとめられている。人権は、包括的自由権法の下の平等、精神的自由、経済的自由、人身の自由、受益権、社会権参政権などに大別される。

包括的自由権法の下の平等
まず包括的な人権規定、包括的自由権である生命・自由・幸福追求権(13条)がある。プライバシーの権利、自己決定権などの新しい人権は、同条により保障される。また、14条では法の下の平等が定められる。同条2項は貴族制度の禁止と栄典に伴う特権付与の禁止を定める。同条のほか、24条では両性の平等が、44条では選挙人資格などの平等が定められている。

精神的自由
精神的自由のうち、内面の自由としては、思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、学問の自由(23条)がある。20条1項(後段)及び3項は89条と共に、政教分離原則を定める。学問の自由からは、大学の自治および学校の自治が導き出される。表現の自由は21条に定められる。同条では、明文にある集会の自由・結社の自由・出版の自由や言論の自由のほか、知る権利、報道の自由・取材の自由、選挙運動の自由など、重要な人権が保障されている。また、同条2項では、検閲の禁止と通信の秘密が保障されている。

経済的自由
経済的自由としては、まず22条1項では、職業選択の自由を保障している。ここからは営業の自由が導き出される。また2項と共に、居住移転の自由、外国移住の自由、海外渡航の自由、国籍離脱の自由も保障されている。29条では、財産権が保障されている。

人身の自由
人身の自由は、まず18条で、奴隷的拘束からの自由が定められる。31条では適正手続の保障が規定される。刑事手続に関する詳細な規定は、日本国憲法の特徴とされる。これには、不当な身柄拘束からの自由(34条)、住居等への不可侵(35条)など被疑者の権利と、公務員による拷問及び残虐な刑罰の禁止(36条)、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利、証人審問権・喚問権、弁護人依頼権(37条)、自己負罪拒否特権(38条、黙秘権)、刑罰不遡及(39条)、二重の危険の禁止(一事不再理、39条)など被告人の権利がある。

大日本帝国憲法体制からの経験則として、英米法の経験則が導入された経緯がある。大日本帝国憲法では、法律によらなければ、逮捕・監禁・審問・処罰を受けないと定めていたが、実際には警察による拷問などが行われ、人身の自由の保障は不十分だった。

なお、人身の自由に関する憲法直接付属法は人身保護法(昭和23年法律第199号)である。この人身保護法に関する細則は、最高裁判所規則である、* 人身保護規則(昭和23年最高裁判所規則第22号)に定められる。同法及び同規則によれば、人身保護事件の審理は、原則として民事訴訟の手続で扱われる(規則33条、46条)。人身保護法は、人身の自由を拘束(人身の自由を奪ったり制限すること)をする者を、公務員・公的機関だけに限定していない。

受益権
受益権とは国務請求権ともいう。国民が国家に対し、行為や給付、制度の整備などを要求する権利である。受益権には、請願権(16条)、裁判を受ける権利(32条)、国家賠償請求権(17条)、刑事補償請求権(40条)などがある。

社会権
社会権とは、個人の生存・教育・維持発展などに関する給付を、国家に対し要求する権利である。社会権には、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利、労働基本権(27条、28条、労働三権)などがある。

参政権
参政権とは、国民が政治に参与する権利である。15条で、選挙権・被選挙権・国民投票権などの参政権を保障している。選挙権は、普通選挙、平等選挙、自由選挙、秘密選挙、直接選挙の5つの要件(原則)を備えなければならない。普通選挙とは財力・教育などを選挙権の要件としない選挙をいい、15条3項と44条で保障される。平等選挙とは選挙権の価値は平等として一人一票を原則とする選挙をいい、14条1項や44条で保障され、投票価値の平等も保障されると解釈される。自由選挙とは投票を罰則などの制裁によって義務づけない選挙をいい、15条1項などにより保障されると解されている。秘密選挙とは投票内容を秘密にする選挙をいい、15条4項で保障される。直接選挙とは選挙人が公務員を直接に選ぶ選挙をいい、国政選挙では直接これを保障する条項はないが、地方選挙では93条2項で保障する。国民投票権は、憲法改正についてのみ認めている(96条1項)。地方自治特別法に関する住民投票権や、最高裁判所裁判官国民審査もこの権利の一種とされる。

統治規定
日本国憲法は権力分立制(三権分立制)を採る。権力分立とは、国家の諸作用を性質に応じて区別し、それを異なる機関に分離し、相互に抑制均衡を保つことで権力の一極集中と恣意的な行使を防止するものである。権力分立制は、自由主義をその背後の原理とする。通常、立法権・行政権・司法権の権力に区別する。日本国憲法では、立法権は国会(41条)に、行政権は内閣(65条)に、司法権は裁判所(76条)に配される。

日本国憲法は、第1章に天皇に関する事項を定める。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定される(1条)。天皇は、内閣の助言と承認により、国民のため、憲法改正、法律、政令及び条約の公布(7条1号)、国会の召集(2号)、衆議院の解散(3号)、官吏の任免の認証(5号)、栄典の授与(7号)、外交文書の認証(8号)などの国事行為を行う(7条)。また、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命(6条1項)し、内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命する(同条2項)(6条)。

国会
国会は国権の最高機関とされ、唯一の立法機関とされる(41条)。国会は衆議院参議院の二院からなる(42条)。二院のうちでは、衆議院の優越が定められている(予算先議権:60条1項、内閣不信任決議権:69条、決議の優越:59条2項・60条2項・61条、67条2項)。それ以外は対等であり、法律案は、両議院で可決したときに法律となり(59条1項)、予算案・条約の承認も国会の権能である(60条、61条)。また、両議院には各々、内部規律に関する規則制定権がある(58条2項)。

他の二権との関係では、まず、内閣に対しては、国会に内閣総理大臣の指名権があり(67条)、衆議院には内閣不信任決議権がある(69条)。また、院の権能である国政調査権(62条)を行使して、内閣の行う行政事項に関して調査監視する。裁判所に対しては、裁判官弾劾裁判所を設置して、非行のあった裁判官を弾劾する(64条)。もっとも、裁判官弾劾裁判所自体は国会から独立した機関である。また、裁判官は国会が作った法律に当然に拘束される(76条3項)。

内閣
内閣は行政権を担う(65条)。内閣は、内閣総理大臣国務大臣からなる合議制の機関である(66条)。内閣の首長たる内閣総理大臣は国会議員の中から国会により指名され(67条1項)、天皇に任命される(6条1項)。国務大臣内閣総理大臣が任命するが、その過半数を国会議員の中から選ばなければならない(68条1項)。内閣は、一般行政事務を行うほか、条約を締結し、予算案を作成し、政令を制定するなどの権限を行使する(73条)。また、内閣は、天皇の国事行為に対し、助言と承認を行う(7条)。

内閣は、天皇への助言と承認を通して衆議院を解散することができる(7条3号)。内閣は、最高裁判所長官を指名し(6条2項)、その他の下級裁判所裁判官を最高裁判所が作成した名簿より任命する(79条1項)。

裁判所
すべて司法権は、裁判所に属する。裁判所は最高裁判所および下級裁判所からなる。特別裁判所の設置は禁じられている。最高裁判所長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命する。その他の裁判官は、内閣が任命する。特に、下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿により、内閣が任命する。最高裁判所の裁判官は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙とその後10年ごとの衆議院議員総選挙において、国民審査を受ける。下級裁判所の裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。裁判所には、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則制定権がある(77条1項)。

裁判所は、法令審査権(違憲立法審査権違憲審査権)を行使する(81条)。同条は、最高裁判所を「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」と規定するが、これは下級裁判所も法令審査権を行使しうることを示している(判例もそれを示している。「警察予備隊違憲訴訟」昭和27年10月8日大法廷判決昭和27年(マ)第23号日本国憲法に違反する行政処分取消訴訟。)。この法令審査権は、裁判所が裁判を行うにあたって適用する法令が違憲であるか否か判断する権限とされる(附随的違憲審査制)。ドイツの憲法裁判所やイタリア、オーストリア等の裁判所に見られる、具体的な事件から離れて抽象的にある法令が違憲であるか否か審査する権限(抽象的違憲審査制)は、日本国憲法に定められていない。

財政・地方自治
第7章は財政に関する事項を定める。国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて行使される(財政国会中心主義、83条)。また、租税法律主義(84条)、内閣の予算案作成権(86条)、国の収入支出の決算と会計検査院に関する事項などが定められる(90条)。なお、皇室経済に関しては、皇室費用の予算計上(88条)は第7章に、皇室への財産譲り渡し、皇室の財産譲り受け、もしくは賜与に関する国会の議決は第1章の8条に定める。

第8章は地方自治に関する事項を定める。地方自治は、住民自治と団体自治をその本旨とする(92条)。地方公共団体には、その長(首長)と議会が置かれ、住民は首長と議員を直接選挙で選出する(93条)。地方公共団体は、その財産を管理し、行政を執行する権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制定する権限を有する(94条)。また、一の地方公共団体のみに適用される特別法(地方自治特別法)は、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は制定することができない(95条)。

憲法保障
憲法保障とは、憲法秩序の存続や安定を保つことである。そのための規定・制度としては、まず憲法最高法規性が挙げられる。98条は、明文で憲法最高法規性を定める。この形式的な最高法規性の定めを、97条の最高法規性の実質的根拠と、96条の硬性憲法の定めが支える。また、99条は公務員に憲法尊重擁護義務を課している。さらに、権力分立制や違憲審査制も憲法保障を図る制度である。

憲法改正
憲法改正手続は、96条で定められている。まず、憲法改正案は、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」により「国会」が発議する。この発議された憲法改正案を国民に提案し、国民の承認を経なければならない。この承認には、「特別の国民投票又は国会の定める選挙」の際に行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。この憲法改正案が、国民の承認を経た後、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

この改正手続を定める国民投票法(正式名称・日本国憲法の改正手続に関する法律)が、2007年5月14日、可決・成立した。その他の論点については、憲法改正論議の項目を参照のこと。

制定史
大日本帝国憲法
明治維新により近世の幕藩体制封建制社会から復古的な天皇制・国民国家へと脱皮した日本国は、1889年(明治22年大日本帝国憲法の制定により、近代市民国家へと変貌した。大日本帝国憲法は神権的な天皇制と古典的自由主義・民主主義理念が共存し、国家の統治権天皇にあることとともに国民(臣民)の権利が定められ、議会政治の道が開かれた。

大正時代には、都市中間層の政治的自覚を背景に、明治以来の藩閥・官僚政治に反対して護憲運動・普通選挙運動が展開された。民主主義(民本主義)、自由主義社会主義の思想が高揚、帝国議会に基礎を持つ政党内閣誕生に結実した。政党内閣は、制限選挙における投票条件を徐々に緩和、1925年(大正14年)に25歳以上の男子による普通選挙を実現させた。この時期、大日本帝国憲法は民主的に運用され、日本は実質的に議会制民主主義国であったと指摘される(「大正デモクラシー」も参照)。

大日本帝国憲法の第11条に、天皇の大権として陸海軍の統帥権を定めた規定があった。この規定は、天皇の直接的な軍の統帥を念頭においた規定ではない。実質的には、軍の統帥を政府の管轄から独立させ、陸海軍当局の管轄としたところに意味があった。しかしこの条項の解釈をめぐり、ロンドン海軍軍縮会議締結の際にいわゆる統帥権干犯問題が起き、政府の介入が天皇の大権を侵すものとの主張がなされた。この後、政府・議会の軍管理が徹底されず、民主的基盤を持たない軍が国政に強く関与することになる。1937年(昭和12年)には盧溝橋での部隊衝突をきっかけとする日中戦争支那事変)が勃発し、1941年(昭和16年)には太平洋戦争(大東亜戦争)に突入、戦時体制下において軍部主導の国家運営がなされた。

日本国憲法の制定
ポツダム宣言の受諾と占領統治
1945年(昭和20年)7月、米英ソ三国首脳(アメリカのトルーマン大統領・イギリスのチャーチル首相・ソ連スターリン共産党書記長)は、第二次世界大戦の戦後処理について協議するため、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで会談を行った(ポツダム会談)。この席で、三者は「日本に降伏の機会を与える」ための降伏条件を定め、中華民国蒋介石・国民政府国家主席の同意を得て、同月26日、米英中の三国首脳の名でこれを発表した(「ポツダム宣言」)。この「ポツダム宣言」のうち、特に憲法に関する点は次の点である。

軍国主義を排除すること。
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
民主主義の復活強化へむけて一切の障害を除去すること。
言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重を確立すること。
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
日本政府は、先ずこれを「黙殺」すると発表し、態度を留保した。アメリカ軍は翌8月6日に広島、同9日に長崎に原爆を投下し、ソ連軍は8月8日にソ連対日参戦した。ここに至って日本政府は戦争終結を決意し、8月10日に連合国にポツダム宣言を受諾すると伝達した。日本政府はこの際、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾」するとの条件を付した(8月10日付「三国宣言受諾ニ関スル件」[2])。これは、受諾はするものの、天皇を中心とする政治体制は維持する、いわゆる国体護持を条件とすることを意味した。

連合国は、この申し入れに対して、翌11日に回答を伝えた。この回答は、アメリカの国務長官であったジェームズ・F・バーンズの名を取って「バーンズ回答」と呼ばれる。この「バーンズ回答」で連合国は、次の2点を明示した。[3]

降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施の為その必要と認める措置を執る「連合国軍最高司令官」(SCAP)に従属する(subject to)。
From the moment on surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.
日本の最終的な統治形態は、ポツダム宣言に遵い日本国国民の自由に表明する意思に依り決定される。
The ultimate form of Government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people.
日本政府はこの回答を受け取り、御前会議により協議を続けた結果、8月14日にポツダム宣言の受諾を決定し、連合国に通告した。ポツダム宣言の受諾は、日本国民に対しては、翌15日正午からのラジオを通じて昭和天皇が「大東亜戦争終結詔書」を読み上げる「玉音放送」で知らせた。この詔書の中では、「国体ヲ護持シ得」たとしている。翌9月2日、日本の政府全権が、横浜港のアメリカ戦艦・ミズーリ号上で、降伏文書に署名した。

降伏により、日本は独立国としての主権を事実上失い、その統治権連合国軍最高司令官の制約の下に置かれた。連合国軍最高司令官は、「ポツダム宣言」を実施するために必要な措置を執ることができるものとされた。8月28日、連合国軍先遣部隊が厚木飛行場に到着し、同30日には連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木に到着した。マッカーサーは、直ちに総司令部(GHQ)を設置し、日本に対する占領統治を開始した。この占領統治は、原則として、日本の既存統治機構を通じて間接的に統治する方式を採り、例外的に特に必要な場合にのみ、直接統治を行うものとした。

日本政府および日本国民の憲法改正動向
降伏直後から、日本政府部内では、いずれ連合国側から、大日本帝国憲法の改正が求められるであろうことを予想していた。しかし、憲法改正は緊急の課題であるとは考えられていなかった。

日本政府によって、それが緊急の課題であると捉えられたのは、1945年(昭和20年)10月4日のことである。この日、マッカーサーは、東久邇宮内閣の国務大臣であった近衛文麿に、憲法改正を示唆した[4]。

なお、この日、総司令部は、治安維持法の廃止、