【井山 裕太】=日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。

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井山裕太
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井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 - )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。

5歳で囲碁を覚える。6歳の時、ミニ碁一番勝負に出場し、5人抜き。番組の解説者だった石井邦生九段に弟子入り。1997年(東大阪市立孔舎衙東小学校2年)、1998年(同3年)に少年少女囲碁大会全国大会で2年連続優勝。また同年にはじまった全日本こども囲碁大会の初代優勝者にも輝き、平成生まれのチャンピオンとして話題を集めた。2002年、東大阪市立孔舎衙中学校1年生でプロ入り。

早くから次代を担う若手として期待を集めていたが、2005年10月8日、第12期阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦で小林覚九段を破り優勝、早くも頭角を現した。16歳4ヶ月での優勝は日本囲碁史上最年少(従来の最年少優勝は、1973年に新鋭トーナメント戦で優勝した趙治勲五段(当時)の17歳0ヶ月)。張栩王立誠趙治勲小林覚という超一流棋士を連破しての優勝であるだけに価値は大きい。棋戦優勝で規定により七段へ昇段したが、これも史上最年少、四段から七段への飛び級昇段も史上初であった。また同年には第2回中野杯・U20選手権でも優勝、以後この大会で3連覇。

2007年には第32期棋聖戦リーグ入りを果たし、17歳10ヶ月の3大リーグ入り最年少記録を作る。また名人戦リーグ入りを果たし、黄翊祖が2005年に記録した18歳6ヶ月を1月あまり更新した。 2008年には名人リーグを勝ち抜いて挑戦権を獲得、現行7大タイトル戦での最年少挑戦記録を塗り替えた(19歳3ヶ月。これまでの記録は趙治勲が王座に挑戦した20歳4ヶ月、名人戦では林海峰の23歳2ヶ月)。名人戦挑戦者となったことで規定により7月11日に八段に昇段した。

2009年の名人リーグは8戦全勝で張栩名人に対する挑戦権を獲得、リターンマッチとなった名人戦を4-1で勝利し、名人位を20歳4ヶ月で獲得。名人戦・7大タイトル戦でのタイトル獲得の最年少記録を更新した(これまでの記録は名人戦では林海峰の23歳4ヶ月