【学科の一覧】=1万8000字

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【学科の一覧】=1万8000字

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この項目では、日本の大学に設置された学科について説明しています。
高校の専門学科については「専門教育を主とする学科」をご覧ください。
学問分野の一覧については「学問の一覧」をご覧ください。
<教育関係記事一覧 (五十音順)

学科の一覧(がっかのいちらん)は、日本に設置されている大学の学部に設置された学科の
一覧である。異なる系統にまたがるものについては、再掲している。総数は1423。高等学校の学科については専門教育を主とする学科を参照。

目次 [非表示]
1 人文科学系
1.1 文学・日本語・日本文学
1.2 言語・外国語・外国文学
1.3 歴史・地理・文化財
1.4 哲学・心理・宗教
1.5 人間科学・文化・教養
1.6 メディア・マスコミュニケーション・情報
1.7 教育
1.8 芸術・デザイン
2 社会科学系
2.1 法学・政治学
2.2 経済学・経営学商学・ビジネス
2.3 社会学・福祉・産業
2.4 情報・環境・政策・総合社会科学
3 自然科学系
3.1 数学
3.2 物理学
3.3 化学
3.4 生物学
3.5 地学
3.6 その他の理学
3.7 機械工学
3.8 電気・電子・通信・情報の各工学
3.9 土木・建築・建設・都市の各工学
3.10 デザイン工学
3.11 応用化学
3.12 生物工学
3.13 材料工学
3.14 経営工学
3.15 その他の工学
3.16 農学
4 医学・医療・家政・体育
4.1 医学
4.2 歯学
4.3 薬学
4.4 看護学
4.5 保健・医療
4.6 家政学
4.7 児童学
4.8 体育学
5 関連項目

人文科学系 [編集]
文学・日本語・日本文学 [編集]
文学科
人文学科
日本文学科
国語国文学
国文学国語学
国文学科
児童文学科
日本語学科
日本語日本文学科
日本語・日本文学科
文芸創作学科
未来文化創造学科
日本文化学科
日本文化創造学科
日本伝統文化学科
現代日本文化学科
日本語日本文化学科
日本文学文化学科
日本語・日本文化学科



言語・外国語・外国文学 [編集]
言語学
言語文化学科
言語表現学科
人間言語学
英米学科
英語学科
国際英語学科
英米語学科
実践英語学科
英米言語文化学科
英米文化学科
英語英文学科
英語英米文学科
現代英語学科
英語・英米文学科
英米英米文学科
英語英文学教育科
英語メディア学科
国際英語メディア学科
ヨーロッパ・アメリカ学科
フランス語学科
フランス学科
フランス語フランス文学科
ドイツ語学科
ドイツ学科
イタリア語学科
ロシア語学科
ロシア学科
スペイン語学科
スペイン学科
イスパニア語学科
スペイン語スペイン文学科
スペイン・ラテンアメリカ学科
イスパニア学科
ポルトガル語学科
ブラジルポルトガル語学科
国語学
国学
現代中国学
中国語中国文学科
中国語中国文化学科
国語学
アジア学科
アジア語学科
東アジア学科
東アジア地域言語学
アジア言語文化学科
国語学
外国語外国文学科
英文学科
英米文学科
フランス文学科
ドイツ文学科
北欧学科
中国文学科
コミュニケーション学科
言語コミュニケーション学科
言語・コミュニケーション学科
国際文化・言語学
国際言語コミュニケーション学科
英語コミュニケーション学科
ヨーロッパ文化学科
アジア学科
アジア文化学科
東アジア言語文化学科
比較文化学科
英米比較文化学科
ヨーロッパ比較文化学科
日本・東アジア比較文化学科
欧米文化学科
米英言語文化学科
英米言語文化学科



歴史・地理・文化財 [編集]
史学科
国史学
史学地理学科
地理学科
歴史地理学科
歴史文化学科
歴史学
総合歴史学
歴史社会学
文化歴史学
文化史学科
日本文化史学科
文化財学科
美術史・文化財保存修復学科
文化財修復国際協力学科



哲学・心理・宗教 [編集]
哲学科
インド哲学
思想文化学科
中国哲学文学科
哲学歴史学
心理学科
心理・行動科学科
文化心理学
福祉心理学科
総合心理科学科
コミュニケーション心理学科
心理コミュニケーション学科
心理こども学科
心理・応用コミュニケーション学科
健康心理学科
人間心理学科
人間発達心理学
心理人間学
心理臨床学科
臨床心理学科
発達臨床心理学科
心理・社会学
社会臨床心理学科
心理情報学科
心理カウンセリング学科
心理・社会福祉学
美術学科
美学芸術学科
美学美術史学科
芸術文化学科
宗教学科
宗学
仏教学科
仏教文化学科
国際キリスト教学科
キリスト教学科
神学科
神道学科
神道文化学科
禅学科
国際禅学科
密教学科
真宗学科
人間学



人間科学・文化・教養 [編集]
表現学科
芸術・表現行動学科
人間関係学科
人間科学科
人間形成学科
人間表現学科
人間環境学
人間発達学科
人間発達科学科
発達科学科
人間教育学科
心理教育学科
心理・教育学科
行動文化学科
行動科学科
人間行動学科
人間行動科学科
人間社会学
人間社会科学科
人間・社会文化学科
人間文化学科
総合人間学
総合人間・文化学科
国際総合科学科
人間情報科学
社会学
人文学科
総合人文学科
文明学科
アジア文明学科
ヨーロッパ文明学科
アメリカ文明学科
海洋文明学科
文化学科
現代文化学科
表現文化学科
文化表現学科
イメージ文化学科
生活文化学科
総合文芸学科
総合文化学科
文化総合学科
国際文化学科
国際文化協力学科
多文化共生学科
国際社会文化学科
国際交流学科
環境文化学科
環境共生学科文化交流学科
交流文化学科
文化環境学
文化創造学科
観光文化学科
英米文化学科
英語文化学科
英語文化コミュニケーション学科
英語英米文化学科
英語情報学科
国際言語文化学科
グローバル・コミュニケーション学科
グローバルコミュニケーション学科
外国語文化学科文学言語学
言語文化学科
人文社会学
人文情報学科
芸術文化学科
地域創造学科
地域文化学科
地域文化政策学科
地域科学科
環境文化学科
都市環境学
社会文化学科
人間文化学科
人類文化学科
文化人類学
こども文化学科
人間情報学科
福祉文化学科
生活福祉文化学科
国際言語表現学科
知識情報学科
書道文化学科
書道学科
教養学科
現代教養学科
国際教養学科
リベラルアーツ学科
キャリアデザイン学科
総合キャリア学科
現代ビジネス学科
超域文化科学科
地域文化研究学科
地域構想学科
総合社会科学科
基礎科学科
広域科学科
総合科学科
生命・認知科学
芸術学科
芸術メディア学科
人間科学科
人間環境学
人間環境科学科
語学科
国際・英語学科
言語文化学科
人文科学科
人文学科
メディア情報文化学
地球市民学科



メディア・マスコミュニケーション・情報 [編集]
マス・コミュニケーション学科
マスコミュニケーション学科
コミュニケーション学科
国際コミュニケーション学科
現代コミュニケーション学科
文化コミュニケーション学科
コミュニケーション文化学科
コミュニケーション情報学科
メディア情報学科
メディア文化学科
情報文化学
ドキュメンテーション学科
図書館情報学
文化情報学科



教育 [編集]
教育学科
初等教育学科
幼児教育学科
児童教育学科
児童学科
幼児発達学科
乳幼児発達学科
人間発達学科
人間情報学科
健康科学科
生活総合学科
文化創造学科
生涯学習学科
心理教育学科
地域教育学科
総合教育科学科
教育科学科
教育福祉学科



芸術・デザイン [編集]
絵画学科
彫刻学科
日本画学科
美術学科
美術文化学科
美術・工芸学科
油絵学科
造形学科
生産造形学科
技術造形学科
立体アート学科
空間造形学科
デザイン学科
基礎デザイン学科
グラフィックデザイン学科
産業デザイン学科
生産デザイン学科
視覚デザイン学科
ビジュアルデザイン学科
ビジュアル・アーツ学科
視覚伝達デザイン学科
デザイン情報学科
情報表現学科
情報デザイン学科
メディアアート学科
メディアアート表現学科
メディア・芸術学科
プロダクトデザイン学科
工芸工業デザイン学科
デザイン工芸学科
デザイン工学科
観光デザイン学科
マンガ学科
空間演出デザイン学科
パフォーミング・アーツ学科
ファッション造形学科
ファッションデザイン学科
造形芸術学科
造形表現学科
キャラクター造形学科
工芸学科
工芸・デザイン学科
工芸文化学科
芸術工芸学科
美術工芸学科
映画学科
演劇学科
写真学科
放送学科
映像学科
映像コミュニケーション学科
映像メディア学科
映像・デザイン学科
映像造形学科
舞台芸術学科
映像・舞台芸術学科
アニメーション学科
メディア情報学科
メディア・コンテンツ学科
音楽学
音楽学学科
応用音楽学
音楽文化学科
音楽文化創造学科
音楽文化デザイン学科
音楽表現学科
演奏学科
声楽学科
器楽学科
音楽教育学科
幼児音楽教育学科
教育音楽学
作曲理論学科
作曲学科
音楽芸術学科
音楽芸術運営学科
文芸学科
芸術学科
総合芸術学科
芸術計画学科
芸術情報学科
芸術文化学科
文化芸術学科
芸術表現・アートプロデュース学科
コンテンツ・プロデューサ学科
歴史遺産学科
芸術表現療法学科
デジタルコンテンツ学科
映像演劇学科



社会科学系 [編集]
法学・政治学 [編集]
法学科
法律学
ビジネス法学科
現代ビジネス法学科
現代法学科
現代社会法学科
応用実務法学科
総合実践法学科
法律政治学
法政学科
政経学科
法政策学
政策法学科
法ビジネス学科
法律・政治学
経営法学科
現代法経学科
経済法学科
経済システム法学科
国際関係法学科
国際・比較法学科
国際企業関係法学科
企業法学科
地球環境法学科
消費情報環境法学科
知的財産マネジメント学科
未来社会創造学科
政治学
政治行政学
管理行政学
自治行政学
地域行政学
観光政策学科
国際政治学
国際学科
国際関係学科
異文化コミュニケーション学科
国際地域学科
アジア太平洋学科
開発協力学科



経済学・経営学商学・ビジネス [編集]
経済学科
総合経済学科
経済経営学
総合経済政策学科
産業経済学科
産業社会学
社会経済学科
応用経済学科
社会経済システム学科
地域環境政策学科
国際経済学
国際地域経済学科
経済情報学科
経済ネットワーキング学科
経済システム学科
経済工学科
金融学科
市場環境学
ファイナンス学科
ヒューマンエコノミー学科
現代経済学科
公共経済学科
都市経済学科
都市文化経済学科
文化経済学科
農業経済学科
商学
商業学科
貿易学科
商業・貿易学科
会計学
会計ファイナンス学科
不動産学科
金融学科
会計情報学科
会計・情報学科
貿易・観光学科
国際商学
流通学
食品流通学
流通科学科
流通マーケティング学科
流通経済学科
流通情報学科
観光産業学
観光・生活文化事業学科
観光経営学
ホスピタリティ・ツーリズム学科
ビジネス学科
国際ビジネス学科
英語国際ビジネス学科
国際ビジネス情報学科
情報ビジネスコミュニケーション学科
地域システム学科
産業情報学科
経営学
総合経営学
経営ネットワーク学科
流通学
流通・経営学
サービス経営学
サービス産業学
産業経営学
企業経営学
企業システム学科
経営メディア学科
企業情報学科
情報管理学科
経営科学科
総合ビジネス学科
ビジネス学科
現代ビジネス学科
産業ビジネス学科
経営戦略学科
ビジネス戦略学科
情報ビジネス学科
ビジネス情報学科
ビジネス企画学科
起業学科
経営マネージメント学科
ビジネスマネージメント学科
ビジネスマネジメント学科
マネジメント総合学科
マネジメント学科
マネジメントシステム学科
経営システム学科
経営システム科学科
地域ビジネス学科
組織経営学
経営環境情報学
環境マネジメント学科
経営環境学
経営経済学科
経営情報学科
現代経営情報学科
情報科学
情報学科
システム情報学科
ネットワークビジネス学科
ネットワーク情報学科
情報ネットワーク学科
メディア・ネットワーク学科
総合情報学科
国際経営学
経済・経営学
現代経営学
公共経営学
経営コミュニケーション学科
市場経営学
医療・福祉マネジメント学科
医療経営学
事業創造学科
現代マネジメント学科
スポーツ経営学
スポーツマネジメント学科
競技スポーツマネジメント学科
ホスピタリティ・マネジメント学科
国際福祉開発マネジメント学科



社会学・福祉・産業 [編集]
社会学科 - 社会教育学科 - 応用社会学科 - 新聞学科 - 広報学科 - 広報メディア学科 - 国際報道学科 - 社会福祉学科 - 福祉社会学科 - 福祉学科 - 総合福祉学科 - 現代福祉学科 - 福祉経営学科 - 保健福祉学科 - 健康福祉学科 - 健康スポーツ学科 - 健康スポーツ福祉学科 - スポーツ健康福祉学科 - 生活福祉学科 - 介護福祉学科 - 東洋介護福祉学科 - 福祉計画学科 - 社会心理学科 - 心理社会学科 - 福祉心理学科 - 精神保健福祉学科 - 福祉臨床学科 - 臨床福祉学科 - 福祉援助学科 - 人間福祉学科 - 仏教福祉学科 - 人間社会学科 - 福祉情報学科 - 情報福祉学科 - 福祉環境学科 - 福祉環境マネジメント学科 - 福祉産業学科 - 産業福祉学科 - 地域福祉学科 - 福祉コミュニティ学科 - コミュニティ福祉学科 - コミュニティ福祉政策学科 - 福祉貢献学科 - 福祉ボランティア学科 - ヒューマンサービス学科 - 医療福祉学科 - 医療福祉サービス学科 - 子ども福祉学科 - ソーシャルワーク学科 - 生活支援学科 - 社会リハビリテーション学科 - 経営社会学科 - 産業社会学科 - 産業関係学科 - 産業学科 - 観光学科 - 観光科学科 - 観光文化学科 - 国際観光学科 - 社会システム学科 - 社会システム情報学科 - 総合社会システム学科 - 産業情報学科 - マーケティング学科 - マーケティング情報学科 - 国際産業情報学科 - 国際社会学科 - 現代社会学科 - 社会文化学科 - 社会文化システム学科 -

情報・環境・政策・総合社会科学 [編集]
社会情報学科 - 国際情報学科 - 情報システム学科 - 情報メディア学科 - メディア学科 - メディア表現学科 - メディアコミュニケーション学科 - デジタルメディア学科 - メディア社会学科 - 情報社会学科 - 情報デザイン学科 - メディアビジネス学科 - コミュニケーション学科 - 情報コミュニケーション学科 - 国際社会コミュニケーション学科 - ビジネス社会学科 - ビジネスコミュニケーション学科 - 文化情報学科 - 地域情報科学科 - 地域社会システム学科 - 公共政策学科 - 文化政策学科 - カルチュラル・マネジメント学科 - コミュニティマネジメント学科 - 地域づくり学科 - 共生社会学科 - 行動社会学科 - 人間文化学科 - 政策学科 - 政策イノベーション学科 - 政策情報学科 - 環境政策学科 - 総合政策学科 - 総合管理学科 - 総合政策科学科 - 社会政策科学科 - 政策科学科 - コミュニティ政策学科 - コミュニティ文化学科 - 事業計画学科 - 事業構想学科 - 公益学科 - 法経学科 - 政治経済学科 - 環境学科 - 社会環境学科 - 環境社会学科 - 人間環境学科 - 人間環境マネジメント学科 - 都市情報学科 - 都市教養学科 - 環境情報学科 - 生活環境情報学科 - 環境デザイン学科 -ものづくり環境学科- 環境情報ビジネス学科 - 環境ビジネス学科 - 環境創造学科 - 環境防災学科 - 環境リスクマネジメント学科 - 生活環境学科 - 生活経営学科 - 生活文化学科 - 情報文化学科 - 情報メディア学科 - 社会メディア学科 - 国際観光学科 - 国際政策文化学科 - 国際政治経済学科 - 国際協力学科 - 社会科学科 - 現代社会学科 - 社会環境設計学科 - 地域環境学科 - 地域政策学科 - 地域経済学科 - アジア太平洋マネジメント学科 - 21世紀アジア学科 - 社会情報学科 - 社会システム学科 - マスコミュニケーション学科 - 情報マネジメント学科 - 現代マネジメント学科 - ビジネスコミュニケーション学科 - 知的財産学科 - 人間福祉情報学科 - 情報社会政策学科 - 教育文化学科 - キャリアデザイン学科 - 危機管理システム学科 - 知能情報学科

自然科学系 [編集]
数学 [編集]
数学科 - 応用数学科 - 数理学科 - 計算科学科 - 情報科学科 - 情報数理科学科 - 情報数理学科 - 数学・情報数理学科 - 数理・自然情報科学科 - 自然情報科学科 - 自然情報学科 - 環境数理学科 - 数理科学科 - 数理システム科学科 - 数理情報学科 - 数理情報科学科 - 数理・情報システム学科 - 情報システム解析学科 - 数物科学科

物理学 [編集]
物理学科 - 物理科学科 - 物質科学科 - 応用理学科 - 応用物理学科 - 物理生命システム科学科 - 天文学科 - 宇宙地球物理学科

化学 [編集]
化学科 - 基礎化学科 - 応用化学科 - 化学・生命科学科- 物質生命化学科 - 物質環境化学科 - 化学・地球科学科 - 物質生物科学科

生物学 [編集]
生物学科 - 生物科学科 - 生物情報科学科 - 生物化学科 - アニマルサイエンス学科 - 生物分子科学科 - 応用生物科学科 - 環境生物科学科 - 海洋科学科 - 海洋自然科学科 - バイオサイエンス学科 - 植物バイオサイエンス学科 - バイオニクス学科 - 生命科学科 - 臨床生命科学科 - 生命理学科 - 生命化学科 - 生命機能化学科 - 生命環境学科 - 環境生命科学科 - 生体制御学科 - 分子科学科 - 分子生物学科 - 分子生命科学科 - 生物地球システム学科 - 生物地球環境科学科 - 生物圏環境科学科

地学 [編集]
地学科 - 地質科学科 - 地球システム科学科 - 地球科学科 - 地球学科 - 地球環境学科 - 地球資源学科 - 地球資源環境学科 - 地球環境科学科 - 地球惑星システム学科 - 地球惑星科学科 - 地球物質科学科 - 地球惑星物理学科 - 物質地球科学科 - 環境生態学科 - 環境人間学科 - 物質循環学科 - 環境科学科 - 環境情報学科 - 環境システム学科 - 自然環境科学科 - 緑地環境科学科 - 生物地球システム学科 - 生物地球環境科学科 - 生物圏環境科学科 - 地球圏科学科 - 地圏環境科学科

その他の理学 [編集]
理学科 - 応用自然科学科 - 基礎理学科 - 認知科学科 - 情報学科 - 基礎理学科 - 環境科学科 - 環境理学科 - 環境安全システム学科 - 物理・数理学科 - 化学・生命科学科 - 物質生命理工学科 - 生命圏環境科学科 - 自然システム学科 - コンピュータシミュレーション学科

機械工学 [編集]
機械学科 - 機械工学科 - 機械科学科 - 機械サイエンス学科 - 生産工学科 - 産業機械工学科 - 動力機械工学科 - 精密工学科 - 精密機械工学科 - 生体機械工学科 - 国際基礎工学科 - 機械工学第二学科 - 交通機械工学科 - 交通科学科 - 機械システム工学科 - マイクロ機械システム工学科 - 機械デザイン工学科 - 機械システムデザイン工学科 - システムデザイン工学科 - システムデザイン学科 - 機械システムデザイン学科 - 環境機械システム工学科 - 機械システム学科 - 機械創造工学科 - 機械創成工学科 - 機械情報工学科 - 情報機械システム工学科 - 機械情報技術学科 - 機械制御システム学科 - 機械制御システム工学科 - 機械・精密システム工学科 - 知能機械工学科 - 知能システム工学科 - 機械知能システム工学科 - 知能機械システム工学科 - 人間・機械工学科 - システム制御工学科- エネルギー科学科 - エネルギー機械工学科 - 機械・エネルギーシステム工学科 - 機能機械学科 - 機能機械工学科 - 機械知能システム学科 - ロボティクス学科 - 機能ロボティクス学科 - ロボット工学科 - 機械知能工学科 - 機械知能・航空工学科 - 航空工学科 - 航空システム工学科 - 機械航空工学科 - 機械・航空工学科 - 航空宇宙学科 - 航空宇宙工学科 - 機械宇宙学科 - 宇宙航空システム工学科 - 船舶工学科 - マリンデザイン工学科 - 航海工学科 - エレクトロメカニクス学科- ものづくり環境学

電気・電子・通信・情報の各工学 [編集]
電気学科 - 電気工学科 - エレクトロニクス学科 - 通信工学科 - 宇宙通信工学科 - 通信ネットワーク工学科 - 電子工学科 - 電子材料工学科 - 電子機械工学科 - 機械電子工学科 - 電子物理工学科 - 電子物理科学科 - 電気システム工学科 - 電気情報システム工学科 - 電気電子システム工学科 - 電子システム工学科 - 電子通信工学科 - 応用情報学科 - 情報処理工学科 - 情報通信工学科 - メディア科学科 - 情報通信学科 - 情報通信システム学科 - メディアネットワーク学科 - 情報工学科 - 情報コミュニケーション学科 - 情報エレクトロニクス学科 - 応用情報工学科 - 人間情報システム工学科 - 電子情報学科 - 電子情報デザイン学科 - 情報科学科 - 情報社会学科 - 情報テクノロジー学科 - 情報学科 - ソフトウェア情報学科 - ソフトウェアサイエンス学科 - コンピュータ情報学科 - コンピュータ科学科 - コンピュータサイエンス学科 - コンピュータシステムテクノロジー学科 - コンピュータソフトウェア学科 - コンピュータハードウェア学科 - コンピュータ・メディア工学科 - コンピュータ・ネットワーク工学科 - コンピュータ応用学科 - コンピュータ応用工学科 - コンピュテーショナル工学科 - メディアコンピュータシステム学科 - ディジタルメディア学科 - 数理情報システム工学科 - 電気電子工学科 - 電子情報工学科 - 電子・情報工学科 - 電気情報工学科 - 電気通信工学科 - 先端情報電気工学科 - 電気・情報生命工学科 - 電気電子・情報工学科 - 電気電子情報工学科 - 情報電気電子工学科 - 電子情報電気工学科 - 電子制御システム工学科 - 情報電子工学科 - 電気・電子工学科 - 電気電子情報通信工学科 - 電子情報通信工学科 - 電子・電気工学科 - 電子応用工学科 - 電気・電子システム工学科 - 電気・ディジタルシステム工学科 - 電気電子メディア工学科 - 電子情報システム学科 - 電子情報システム工学科 - 電子情報ネットワーク学科 - 電子システム情報工学科 - システム電子情報学科 - 電子知能システム学科 - 電気情報・物理工学科 - 電子情報エネルギー工学科 - 情報システム学科 - 情報マネジメント学科 - 情報デザイン学科 - システム情報工学科 - 情報システム工学科 - システム創成情報工学科 - 社会情報システム学科 - 信頼性情報システム工学科 - 知的情報システム工学科 - メディア情報学科 - メディア画像学科 - 情報画像工学科 - 情報メディア学科 - 情報メディア工学科 - 情報・メディア工学科 - 情報ネット・メディア工学科 - メディア通信工学科 - メディア情報システム学科 - 情報機械システム工学科 - 情報環境工学科 - 環境情報工学科 - 環境情報学科 - 情報ネットワーク学科 - 情報ネットワーク工学科 - コミュニケーション工学科 - 情報コミュニケーション工学科 - システムコミュニケーション工学科 - 情報アーキテクチャ学科 - 情報システムデザイン学科 - 情報環境デザイン学科 - 感性情報学科 - 情報サイエンス学科 - 情報システム学科 - 芸術情報設計学科 - デザイン情報学科 - リモートセンシング学科 - 情報知能工学科 - 知能情報工学科 - 知能情報システム学科 - 知能情報システム工学科 - 知能生産システム工学科 - バイオロボティクス学科 - 制御システム工学科 - システム工学科 - システム科学科 - システム創成学科 - 人間コミュニケーション学科 - 知能情報学科 - 光応用工学科 - 感性デザイン学科 - 光システム工学科 - 光応用システム学科 - 電子・光システム工学科 - 電子光情報工学科 - メカエレクトロニクス学科 - 光メカトロニクス学科 - 物理情報工学科 - 知識工学科 - 医用生体工学科 - 福祉生体工学科 - 物理工学科 - 物理システム工学科 - 数理工学科 - 数理情報工学科 - 応用数理工学科 - 知能物理工学科 - 計数工学科 - 物質科学工学科 - 量子・物質工学科

土木・建築・建設・都市の各工学 [編集]
土木工学科 - 土木建設工学科 - 土木開発工学科 - 土木環境工学科 - 環境土木工学科 - 社会基盤学科 - 社会基盤工学科 - 社会交通工学科 - 社会環境工学科 - 社会環境システム学科 - 社会工学科 - 社会システム工学科 - 社会開発工学科 - 社会デザイン工学科 - 社会開発システム工学科 - 社会建設工学科 - 環境社会工学科 - 環境共生工学科 - 環境開発工学科 - 環境システム工学科 - 環境システム学科 - 環境資源工学科 - 環境建設学科 - 環境建設工学科 - 建設環境工学科 - 建設学科 - 建設システム工学科 - 建設工学科 - 建設社会工学科 - 建設都市工学科 - 建設技能工芸学科 - 安全システム建設工学科 - 地球総合工学科 - 海洋環境学科 - 海洋土木工学科 - 海洋システム工学科 - 海洋建築工学科 - 開発システム工学科
都市システム工学科 - 都市環境学科 - 都市環境システム学科 - 都市環境システム工学科 - 都市基盤工学科 - 都市基盤デザイン工学科 - 都市工学科 - 都市創造工学科 - 都市社会工学科 - 都市建設工学科 - 環境都市工学科 - 環境都市デザイン工学科 - 都市環境デザイン工学科 - 都市環境工学科 - 都市デザイン工学科 - 都市環境デザイン学科 - 環境デザイン工学科 - 環境デザイン学科 - 環境空間デザイン学科 - 環境設計学科 - 環境・建築デザイン学科 - 環境・建築学科 - 住環境デザイン学科- くらしデザイン学科 - 生活造形学科 - 環境創造学科 - 環境創造工学科 - 環境計画工学科 - 環境計画学科 - 環境共生学科 - 環境空間デザイン学科
構造工学科 - 感性デザイン工学科 - 造形工学科 - 空間デザイン学科 - 人間環境学科 - 人間環境デザイン学科 - 不動産学科 - 建築学科 - 建築デザイン学科 - 建築デザイン工学科 - 建築・デザイン学科 - 建築・環境デザイン学科 - 建築都市デザイン学科 - 建築・デザイン工学科 - 建築システム工学科 - 建築環境システム学科 - 建築工学科 - 建築創造学科 - 建築・設備工学科 - 建築設備工学科 - 建築・社会環境工学科 - 建築環境学科 - 建築都市環境学科 - 建築建設工学科

デザイン工学 [編集]
工業デザイン学科 - デザイン科学科 - デザイン工学科 - 数理デザイン工学科 - 工業設計学科 - 製造技能工芸学科 - 生産デザイン学科 - 画像設計学科 - 音響設計学科 - デジタルゲーム学科

応用化学 [編集]
化学システム工学科 - 応用化学科 - 工業化学科 - 化学工学科 - 応用化学工学科 - 生物環境化学工学科 - 化学応用科学科 - 化学応用工学科 - 化学応用デザイン学科 - 応用物質科学科 - 環境化学科 - 環境サイエンス学科 - 環境化学工学科 - 環境化学プロセス工学科 - 環境物質化学科 - 環境・生命未来工学科 - 物質化学科 - 物質応用化学科 - 物質化学工学科 - ナノ化学科 - 精密物質学科 - 機能物質化学科 - 機能分子工学科 - 応用分子化学科 - 機能分子化学科 - 生物応用化学科 - 物質生命科学科 - 物質生命化学科 - 物質・生命工学科 - 生命・物質工学科 - 化学・生物工学科 - 化学生物工学科 - 生物化学工学科 - バイオ工学科 - 化学・バイオ工学科 - 化学生命工学科 - 生命情報学科 - 生命化学科 - 生命物質化学科 - 機能高分子学科 - 機能高分子工学科 - 生体分子機能工学科 - 高分子学科 - 高分子工学科 - 分子素材工学科

生物工学 [編集]
生物工学科 - 生物応用工学科 - 生物機能工学科 - 生物環境化学科 - 物質生物システム工学科 - 環境機能工学科 - 物質・環境システム工学科 - 循環システム工学科 - 物質生命システム工学科 - 応用微生物工学科 - 生物化学工学科 - 生体工学科 - 生物生産工学科 - 生命工学科 - 生命情報工学科 - 生命情報学科 - 応用生命科学科 - 応用生命システム工学科 - 遺伝子工学科 - 生命環境科学科 - バイオ化学科 - 環境・バイオサイエンス学科 - バイオ・リサイクル学科

材料工学 [編集]
金属工学科 - 材料工学科 - 環境材料工学科 - 知的材料工学科 - 環境物質工学科 - 物質・環境工学科 - 応用化学・材料工学科 - 材料科学科 - 材料科学総合学科 - 物質工学科 - 共生応用化学科 - メディカルシステム工学科 - ナノ物質工学科 - 物質理工学科 - 物質開発工学科 - マテリアル科学科 - マテリアル工学科 - 先端マテリアル工学科 - 環境マテリアル学科 - 材料開発工学科 - 材料創造工学科 - 材料物理工学科 - 材料機能工学科 - 材料物性工学科 - 無機材料工学科 - 有機材料工学科 - 有機材料化学科 - 機能材料工学科 - 精密素材工学科 - 繊維システム工学科 - 素材開発化学科 - 材料プロセス工学科 - 物質光科学科

経営工学 [編集]
経営工学科 - 経営情報工学科 - 経営情報学科 - プロジェクトマネジメント学科 - システムマネジメント学科 - システムマネジメント工学科 - マネジメントシステム工学科 - マネジメントサイエンス学科 - デザイン経営工学科 - 経営システム工学科 - 経営情報科学科 - システム情報工学科 - 管理工学科 - 環境管理工学科

その他の工学 [編集]
原子力技術応用工学科 - 応用理工学科 - 応用理工系学科 - 環境エネルギー工学科 - 環境ソリューション工学科 - 複雑系科学科 - 先端工学基礎学科 - 福祉人間工学科 - 福祉環境工学科 - 福祉システム工学科 - 防災システム学科 - 流通情報工学科 - 身体システム工学科 - 海洋電子機械工学科 - 海事システム工学科




農学 [編集]
農学科
バイオサイエンス学科
生物資源科学科
生物資源環境科学科
生物資源学科
生物資源管理学科
生物資源環境学
生物生産環境学
生物資源食糧化学科
生物生産科学科
生物生産学科
生産科学科
生命科学
生命化学科
生命機能科学科
生物圏生命科学
生物環境科学科
生物環境制御学科
生態環境科学科
生物資源化学科
地域開発科学科
総合農業科学科
緑地・環境学
園芸学科
造園学科
造園科学科
応用生物化学科
応用生物科学科
応用生物学科
応用植物科学科
応用生命科学
応用生命工学科
資源生物科学科
資源生物環境学
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最終更新 2009年5月10日 (日) 12:19

【論語】=2万字 あ04-04 悪しきこと無し04-07 過ちを観て斯に仁を知る

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論語】=2万字



04-04 悪しきこと無し
04-07 過ちを観て斯に仁を知る
04-08 朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。
04-09 悪衣悪食を恥ずる者は
04-19 遊ぶこと必ず方(ほう)あり
05-24 或るひと醯(す)を乞う
05-27 過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり
06-03 過ちを弐たびせず
06-06 赤*くして且つ角(つの)あらば
06-15 敢て後れたるに非らず、馬進まざるなり
06-26 欺くべきも、罔うべからざるなり
07-30 過ちあれば、人必ずこれを知る
08-05 有れども無きが若(ごと)く
08-13 篤く信じて学を好み
09-11 仰げば彌々高く
11-09 噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり
11-20 迹を践まず
12-10 愛しては其の生を欲
14-23 欺くこと勿かれ
14-26 過ち寡なからんことを欲して、未だ能わざるなり
14-34 敢て佞を為すに非らざるなり
15-30 過ちて改めざる、是れを過ちと謂う
16-01 能わざれば止むと
17-22 飽くまで食らいて日を終え
17-24 訐きて以て直と為す者を悪む
19-21 過つや人皆これを見る

01-06 出でては則ち弟
02-02 一言以てこれを蔽う
02-05 生けるにはこれに事(つか)うるに礼を以てし
02-07 今の孝は是れ能(よ)く養なうを謂う
02-08 色難し
02-16 異端を攻むるは斯れ害のみ
02-21 奚ぞ其れ政を為すことを為さん
02-23 殷は夏の礼に因る
03-05 夷狄の君あるは、諸夏の亡きに如かざるなり
03-09 殷の礼は吾れ能くこれを言えども、宋は徴とするに足らざるなり
03-14 郁郁乎として文なるかな
03-16 古えの道なり
03-21 殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす既往(きおう)は咎め
04-09 未だ与(とも)に議(はか)るに足らず
04-21 一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)れる
05-07 桴に乗りて海に浮かばん
05-09 一を聞きて以て十を知る
05-09 一を聞きて以て二を知る
05-14 未だこれを行うこと能わざれば
05-18 何如(いかん)ぞ其れ知ならん
05-19 慍れる色なし
05-19 未だ知ならず、焉んぞ仁なることを得ん
06-03 怒りを遷(うつ)さず
06-03 未だ学を好む者を聞かざるなり
06-11 一箪の食、一瓢の飲
06-12 今女は画れり
06-16 今の世に免がれんこと
07-08 一隅を挙げてこれに示し
07-18 憤りを発して食を忘れ
07-19 古を好み、敏にして以てこれを求めたる者なり
07-34 祷らんと請う
07-37 威にして猛ならず
08-21 飲食を菲くして孝を鬼神に致し
09-04 意なく、必なく、固なく、我なし
09-16 出でては則ち公卿(こうけい)に事(つか)え
09-16 入りては則ち父兄に事う
09-19 一簣(き)を成さざるも、止(や)むは吾が止むなり
09-19 一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり
09-32 未だこれを思わざるなり
10-01 言うこと能わざる者に似たり
10-04 容(い)れられざるが如くす
10-08 食(いい)は精(しらげ)を厭(いと)わず
10-20 寝ぬるに尸せず
10-20 居るに容づくらず
11-07 今や則ち亡し
11-12 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん
11-12 焉んぞ能く鬼に事えん
11-14 言えば必ず中ること有り
11-15 未だ室に入らざるなり
12-07 古より皆な死あり
12-21 一朝の忿りに其の身を忘れて
13-15 一言にして邦を喪ぼすに幾かからずや
13-15 一言にして邦を興こすに幾かからずや
14-16 譎りて正しからず
14-25 古の学者は己の為ににし、今の学者は人の為にす
14-33 詐りを逆えず
15-03 一以てこれを貫く
15-11 殷の輅に乗り
16-06 未だ顔色を見ずして言う、これを瞽(こ)と謂う
16-10 忿には難を思い、得るを見ては義を思う
16-11 隠居して以て其の志しを求め
16-13 一を問いて三を得たり
16-14 異邦の人これを称して亦た君夫人と曰う
17-12 色はげしくして内荏なるは
17-16 古の狂や肆、今の狂や蕩
17-16 古えの矜や廉、今の矜や忿戻
17-16 古えの愚や直、今の愚や詐のみ
18-01 殷に三仁あり
18-05 今の政に従う者は殆うし
18-07 隠者なり
18-08 逸民は
18-08 隠居して放言し
19-25 一言以て不知と為す
20-02 逸民を挙ぐれば

05-23 怨み是を用て希なり
05-24 怨みを匿して其の人を友とするは
07-37 恭々しくして安し
08-21 禹は吾れ間然とすること無し
10-13 厩焚けたり
10-13 馬を問わず
12-04 内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。
13-01 倦むこと無かれ
13-22 占わざるのみ
15-15 薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる
15-26 馬ある者は人に借(か)してこれに乗らしむる
16-09 生まれながらにしてこれを知る者は上なり
16-10 疑わしきには問いを思い

03-08 絵の事は素を後(のち)にす
04-01 択んで仁に処らずんば、焉んぞ知なることを得ん
14-20 衛の霊公の無道なるを言う
16-04 益者三友
16-05 益者三楽
19-01 得るを見ては義を思い

01-06 行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ
01-08 己に如からざる者を友とすることなかれ
01-09 終わりを慎み
01-10 温良恭倹譲
01-15 往を告げて来を知る者なり
02-02 思い邪なし
02-15 思うて学ばざれば則ち殆うし
02-18 多く聞きて疑わしきを闕き
02-18 多く見て殆(あや)うきを闕き
03-13 奧に媚びんよりは、寧ろ竈に媚びよ
04-14 己を知ること莫きを患えず
06-30 己れ達っせんと欲して人を達す
07-07 誨(おし)うること無くんばあらず
07-18 老いの将に至らんとするを知らざるのみ
07-27 多く聞きて其の善き者を択び
07-27 多く見てこれを識(しる)すは
07-28 往を保せざるなり
07-28 己れを潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん
07-35 奢(おご)れば則ち不孫(ふそん)
08-05 多きを以て寡(すく)なきに問い
08-05 犯されて校(むく)いず
08-11 驕(おご)り且つ吝(やぶさ)かならしめば
09-23 畏るるに足らざるのみ
09-25 己に如かざる者を友とすること無かれ
11-08 各々其の子と言うなり
11-19 億れば則ち屡々中る
12-01 己れを克めて礼に復るを仁と為す
12-02 己れの欲せざる所は人に施すこと勿かれ斯の語を事とせん
13-20 己れを行うに恥あり
13-30 教えざる民を以て戦う
14-32 己れの能なきを患う
14-41 己れを知ること莫くんば、斯れ已まんのみ
14-42 己れを総べて以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり
14-44 己のれを脩めて以て人を安んず
14-45 老いて死せず
15-05 己れを恭々しくして正しく南面するのみ
15-24 己のれの欲せざる所、人に施すことな勿かれ
15-39 教えありて類なし

01-07 必ずこれを学びたりと謂わん
02-09 回や愚ならず
03-20 關雎は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず
03-22 管氏に三帰あり
03-22 管仲の器は小なるかな
05-15 下問を恥じず
05-22 帰らんか、帰らんか
06-02 可なり、簡なり
06-02 簡に居て簡を行う
06-08 果
06-30 必らずや聖か
07-20 怪力乱神を語らず
07-22 桓タイ其れ予れを如何
07-25 難(かた)いかな、恒あること
08-15 関雎の乱り
08-19 煥として其れ文章あり
09-09 河、図を出ださず
10-02 侃々如(かんかんじょ)たり
11-08 棺ありて椁なし
11-10 夫(か)の人の為めに慟するに非らずして
11-19 回や其れ庶きか
11-25 夫の人の子を賊わん
12-13 必ずや訟え無からしめんか
13-04 稼を学ばんと請う
13-21 必ずや狂狷か
14-37 下学して上達す
14-41 果なるかな
14-43 上(かみ)、礼を好めば、則ち民使い易し
14-46 闕党の童子、命を将なう
15-11 夏の時を行い
17-06 寛なれば則ち衆を得
17-07 繋りて食らわれざらん
17-07 堅しと曰わざらんや
17-24 果敢にして窒がる者を悪む
17-24 徼めて以て知と為す者を悪む
18-08 可も無く不可も無し
19-17 必ずや親の喪か
19-20 下流に居ることを悪む
20-03 寛なれば則ち衆を得
01-14 学を好むと謂うべきのみ
02-04 学に志す
03-23 楽は其れ知るべきのみ
05-28 学を好むに如かざるなり
07-13 楽を為すことの斯に至らんとは
07-17 雅言する所は
08-04 顔色を正しては斯に信に近づく
08-08 楽に成る
08-17 学は及ばざるが如くする
09-15 楽正しく、雅頌各々其の所を得たり
10-17 駕を俟たずして行く
11-07 学を好む
15-11 楽は則ち韶舞
17-08 学を好まざれば
17-11 楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや
19-05 学を好むと謂うべきのみ

01-13 恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる
05-22 狂簡、斐然として章を成す
05-23 旧悪を念わず
06-08 求や芸あり、政に従うに於てか何か有らん
06-22 鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし
07-30 丘や幸いなり
07-34 丘の祷ること久し
08-02 恭にして礼なければ則ち労す
08-13 危邦には入らず、乱邦には居らず
08-16 狂にして直ならず、トウにして愿ならず
09-05 匡に畏る
09-05 匡人其れ予れを如何
09-11 鑽れば彌々堅し
09-14 九夷に居らんと欲す
10-04 気を屏(おさ)めて息をせざる者に似たり
10-05 享礼には容色あり
10-07 居は必ず坐を遷(うつ)す
10-10 郷人(きょうじん)の飲酒には
10-10 郷人の儺には、朝服して祚*階に立つ
10-12 丘未だ達せず、敢て嘗(な)めず
10-21 凶服の者にはこれに式す
11-14 旧貫に仍らば
11-22 聞くままに斯れ行わんやと
11-23 匡に畏る
11-26 沂に浴し、舞ウ*に風して、詠じて帰えらん
13-10 期月のみにして可ならん
13-20 郷党弟を称す
13-21 狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり
13-24 郷人皆なこれを好せば
13-24 郷人皆なこれを悪まば
14-35 驥は其の力を称せず
16-10 聴くには聡を思い、色には温を思い
17-06 恭寛信敏惠
17-06 恭なれば則ち侮られず
17-13 郷原は徳の賊なり
02-24 義を見て為ざるは勇なきなり
04-10 義にこれ与に比しむ
06-30 尭舜も其れ猶お諸れを病めり
07-03 義を聞きて徙る能わざる
08-18 巍巍(ぎぎ)たるかな
08-19 巍巍として其れ成功あり
10-02 ギンギン如(じょ)たり
12-20 義を好み
14-14 義にして然る後に取る
14-44 尭舜も其れ猶お諸れを病めり
15-18 義以て質と為し、礼以てこれを行い
16-11 義を行いて以て其の道を達す

01-02 君子は本を務む
01-07 君に事えて能くその身を致し
01-08 君子、重からざれば則ち威あらず
01-14 君子は食飽かんことを求むること無く、居安からんことを求むること無し
02-12 君子は器ならず
02-13 君子を問う
02-14 君子は周して比せず、小人は比して周せず
03-07 君子は争う所なし
03-18 君に事うるに礼を尽くせば
03-19 君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす
03-24 君子の斯に至るや、吾れ未だ嘗て見ることを得ずんばあらざるなり
04-05 君子は食を終うる間も仁に違うことなし
04-05 君子、仁を去りて悪にか名を成さん
04-10 君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し
04-11 君子は徳を懐い、小人は土を懐う
04-11 君子は刑を懐い、小人は恵を懐う
04-14 位なきことを患えず、立つ所以を患う
04-16 君子は義に喩り、小人は利に喩る
04-24 君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す
04-26 君に事うるに數すれば、斯に辱しめられ
05-02 邦に道あれば廃てられず、邦に道なければ刑戮に免れん
05-03 君子なるかな、若き人
05-10 朽木は雕るべからず
05-16 君子の道四つ有り
05-21 邦に道なければ則ち愚
06-04 君子は急を周(すく)うて富めるに継がずと
06-13 君子の儒と為れ。小人の儒と為ること無かれ
06-27 君子、博く文を学びて
07-25 君子者を見るを得ば、斯れ可なり
07-30 君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん
07-30 君子も亦た党するか
07-32 君子を行なうことは
07-36 君子は坦かに蕩蕩たり
08-02 君子、親に篤ければ、則ち民仁に興こる
08-04 君子の道に貴ぶ所の者は三つ
08-06 君子人なり
08-13 邦に道あるに、貧しくして且つ賎しきは恥なり
09-06 君子、多ならんや
09-08 空空如(くうくうじょ)たり
09-14 君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん
10-06 君子は紺(かん)シュウを以て飾らず
10-15 君祭れば先ず飯(はん)す
10-16 君これを視れば
12-04 君子を問う
12-05 君子は敬して失なく
12-05 君子何ぞ兄弟なきを患(うれ)えんや
12-08 君子は質のみ
12-11 君 君たり、臣 臣たり
12-16 君子は人の美を成す
12-19 草、これに風を上うれば、必らず偃す
12-19 君子の徳は風なり、小人の徳は草なり
12-24 君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く
13-03 君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如たり
13-15 君たること難し、臣たること易からずと
13-23 君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず
13-25 君子は事え易くして説ばしめ難し
13-26 君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず
14-01 邦に道あれば穀す
14-01 邦に道なきに穀するは、恥なり
14-04 邦に道有れば、言を危しくし行を危しくす
14-04 邦に道無ければ、行を危しくして言は孫(したが)う
14-06 君子なるかな、若き人
14-07 君子にして不仁なる者あらんか
14-15 君を要せずと雖も、吾れは信ぜざるなり
14-22 君を弑す
14-24 君子は上達す。小人は下達す
14-28 君子は思うこと其の位を出でず
14-29 君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず
14-30 君子の道なる者三つ
14-42 君薨(こう)ずれば、百官
14-44 君子を問う
15-02 君子固より窮す。小人窮すれば斯こに濫る
15-07 邦に道有るにも矢の如く、邦に道無きも矢の如し
15-07 邦に道有れば則ち仕え、邦に道無ければ則ち巻きてこれを懐にすべし
15-07 君子なるかな遽伯玉
15-13 位を竊める者か
15-18

【螢雪時代】=1万4000字

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螢雪時代】=1万4000字

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

螢雪時代』(けいせつじだい)は、旺文社から刊行されている大学受験生向けの月刊雑誌。広義には「臨時増刊号」を含む。

目次 [非表示]
1 概要
2 変遷
2.1 『受験旬報』期
2.2 『螢雪時代』前期
2.3 『螢雪時代』後期
2.3.1 大学特信員制度
2.3.2 年間の編集基本方針(プライオリティー
2.3.3 「螢雪」新語・造語(キャッチコピー)
2.3.4 大判化
3 最先端の入試情報提供
4 関連の社内出版事業等
4.1 戦前 - 終戦まで
4.2 戦後
5 螢雪時代臨時増刊号
6 備考
7 参考文献
8 脚注
9 外部リンク

概要 [編集]
1932年(昭和7年)創刊で、日本で最も古くから存在する定期刊行の大学受験雑誌[1]。

1970年代頃までは全国展開の大手予備校などはなく、大都市圏のみならず地方に住む大学受験生の受験勉強、受験対策に欠かせない雑誌であった。

現在においても日本唯一の定期刊行の大学受験専門誌であり、大学受験・進学の進路指導において権威を持つ。かつては競合誌として『高三コース』(学研)が存在した。

変遷 [編集]
『受験旬報』期 [編集]
1932年(昭和7年)10月号 - 1941年(昭和16年)9月号。

1931年(昭和6年)9月1日に歐文社(現旺文社)を創業した赤尾好夫は、学生のための通信教育・進路指導・学習参考書等の出版事業を開始した。通信教育会員の増加に伴い翌1932年(昭和7年)10月、会員の機関誌として『受験旬報』を創刊。『受験旬報』は通信添削会員向けの通信誌であり、旧制高校旧制専門学校、大学予科への受験者を読者とし、月3回刊行。

創刊時の通信添削の会員は17名、『受験旬報』は赤尾好夫とその友人の二人だけで作ったという。赤尾は自ら編集長を務め、また「巻頭言」「受験対策」「受験旬報懸賞問題」などのコーナーの執筆を担当。誌面と添削により全力で受験生を激励する赤尾の姿勢は全国の受験生に支持され、『受験旬報』は発行部数を急速に伸ばす。

赤尾は発刊の翌年、龍山中学校の教諭原仙作に英語の参考書を執筆させたが、これが現在でもロングセラーを続ける旺文社『英語標準問題精講』である。原は『受験旬報』の記事執筆者の一人でもある。

中曽根康弘(旧制静岡高校に進学、後の第71 - 73代内閣総理大臣)は通信添削会員の一人であり『受験旬報』の読者であった。

螢雪時代』前期 [編集]
1941年(昭和16年)10月号 - 1948年(昭和23年)3月号。

『受験旬報』は1941年(昭和16年)10月号より、『螢雪時代』と改題され、一般読者向け大学受験進学の専門月刊誌となった。螢雪という名称は、中国の故事である「螢雪の功」(夏は螢の光で冬は雪明かりで勉強する、転じて苦労して勉学に励む)に由来する。『螢雪時代』第1号の定価は50銭。

螢雪時代』1941年(昭和16年)10月号編集後記には改題について次のように記されている。「本誌は、長年耳慣れた『受験旬報』の名前に別れを告げ、『螢雪時代』という新しい名前の下に再躍進することとなりました。元々『受験旬報』という名前は、昨年9月に従来の旬刊を改めて月刊とした時に改題すべきものであったのですが、種々の事情から出来なかったのです。然し名前が変わったからといって、急に内容迄すっかりかわるわけではありません。今後は従来の記事の他に訓話とか、科学読物とか、偉人の伝記といった諸君の常識を増しためになる記事も出来るだけ多く盛って中等学生の学習指導雑誌として完璧の内容のものとしたいと思っています。兎に角次号から内容はぐっと清新なものとなります。ご期待ください。」

螢雪時代』後期 [編集]
1948年(昭和23年)4月号以降。

日本国憲法教育基本法、学校教育法等の制定により、1949年(昭和24年)に新制大学の入学者選抜が行われることとなった。『螢雪時代』はこれに対応するため昭和23年4月号より、新制大学の入試を準拠した内容にシフトし、大学進学者を読者とした。

特に戦後から1970年代にかけての長期にわたり『螢雪時代』は独占的な黄金期にあった。しかし1970年代後半から全国的な予備校増設や模擬試験乱立が顕著に見られ、『螢雪時代』もこの新たな波に見舞われ始めた。これを契機として、さまざまな持続可能性を示す編集や改革が行われた。

1990年代には、姉妹紙である『螢雪アルシェ』が発行されていた。ここには、当時人気の予備校講師等の講座が掲載されていた。予備校講師以外では、細野真宏(数学、当時フリー)、林省之介(古文、当時関西大学助教授)等も参加している。

大学特信員制度 [編集]
螢雪時代』の強さの秘密の一つに「大学特信員」制度の充実があった。「大学特信員」とは『螢雪時代』の読者で、大学入学後に編集協力を行うメンバーのことである。常時1,000名を超えた「大学特信員」は、入学大学のナマの情報や受験体験記を提供したが、これが受験生にとって大学選び、受験対策を行う上で、得難い情報となった。

年間の編集基本方針(プライオリティー) [編集]
入試情報(入試分析と予想等)
合格体験記
採点官入試講評
螢雪ジャーナル(地域別大学情報)
入試特別講座
月例テスト(表彰制)
受験ユーモア(『受験旬報』創刊以来の連載)
大学・学部探訪

「螢雪」新語・造語(キャッチコピー) [編集]
編集部、読者、「大学特信員」による三位一体の紙面作りで、受験世相を反映した独自の新語、造語が数多く誕生した。以下は主なもの。

WKMARCH
関関同立[2]
JARパック[3]
日東専駒成成神[4]
産近甲龍[5]
津東本女[6]
大東亜帝国[7]
赤尾浪士[8]
赤尾の豆単[9]
赤門入試崩壊[10]
後がこわい入試[11]
1・2・3併願作戦 [12]
駅弁大学・駅伝大学[13]
隔年現象[14]
学歴志向[15]
共痛一次[16]
傾斜配点[17]
螢雪広告時代[18]
現低浪高の役(乱)[19]
国落私合・国合私落[20]
国立大一揆[21]
シケ単・出す単・出る単[22]
四当五落[23]
受験地獄・受験戦争[24]
受験バイブル[25]
受験風林火山[26]
受験ブルース[27]
受験RENTAL症候群[28]
女子の大合短落[29]
女子亡大論・男子亡大論[30]
SKYラーク[31]
スベリ台受験[32]
全国大学入学難易ランキング[33]
大学受験難民・隠れ浪人[34]
大学評価ランキング[35]
大学ベルリンの壁[36]
都立校沈没[37]
二期コンプレ[38]
入試怪革[39]
入りたい大学・入れる大学[40]
ヒール剥がし[41]
フォッサ・マグナ分割[42]
富士山・八ヶ岳五色沼[43]
マスプロ大学[44]
万年浪人[45]
模擬死験[46]
6・3・3α[47]
渡り鳥受験[48]

大判化 [編集]
1967年(昭和42年)4月号以降。受験情報の増加、ビジュアル化の波に対応するため『螢雪時代』は大判化された。タイトル文字のデザイン変更、紙面刷新など、時代の変化に対応した変更がなされた。

螢雪時代』タイトル文字のデザイン変更は、1975年(昭和50年)4月号、1985年(昭和60年)4月号において行われた。

最先端の入試情報提供 [編集]
大学受験界の伝統的先端雑誌として他を圧倒する情報源及び情報を保持していた『螢雪時代』は、一般読者(受験生)はもとより、大学、高校、マスコミ、大手予備校関係者へその最新・独占情報等を提供し続け大学受験界を常にリードした。

文部科学省(文部省)の最新情報公開。
入学者選抜法(入試科目・入試日程・募集方法)の完全掲載。
全大学の入試結果の完全掲載。
東大、京大、早大、慶大等の合格者最低点に関する完全掲載。
共通一次試験予想平均点。その的中率は他の大手予備校と比べて非常に高かったと言われている。
関連の社内出版事業等 [編集]
戦前 - 終戦まで [編集]
1931年(昭和6年)9月 赤尾好夫が歐文社(現旺文社)創業。
1932年(昭和7年)10月 『受験旬報』創刊。旧制高校、専門学校、大学予科受験生対象とする通信教育会員の機関誌。
1933年(昭和8年)『英文標準問題精講』(原仙作著)刊行。
1935年(昭和10年) 『入試突破の対策を語る』刊行、赤尾好夫編『英単語熟語の総合的研究』刊行(初のロングセラー)。
1936年(昭和11年) 高・専・大学予科『入学試験問題詳解』刊行。赤尾好夫編『英語基本単語集』刊行。
1941年(昭和16年)『受験旬報』を『螢雪時代』と改題し月刊とする(定価50銭)。
1942年(昭和17年)8月 「歐文社」を「旺文社」に社名変更。
戦後 [編集]
1945年(昭和20年)『螢雪時代』10月号を戦後の更新第1号として発行。定価1円。
1949年(昭和24年) 『中学時代』創刊、『傾向と対策シリーズ』刊行。
1952年(昭和27年)3月 「大学受験ラジオ講座」放送開始(文化放送)、『大学受験ラジオ講座テキスト』創刊。
1954年(昭和29年)9月 『高校時代』創刊。11月、大学入試「模擬試験」開始。
1955年(昭和30年)4月 『基礎英語ラジオ講座』放送開始。
1956年(昭和31年)11月 『中学時代』を学年別に。
1957年(昭和32年)9月 「全国学芸コンクール」創設、募集開始。
1958年(昭和33年)4月 『百万人の英語テキスト』創刊。
1964年(昭和39年)4月 『高校時代』を学年別に。
1975年(昭和50年)4月 『小学時代』創刊。
1976年(昭和51年)4月 『小学時代』を『小学時代6年生』に改題。
1977年(昭和52年)4月 『小学時代5年生』創刊。
1980年(昭和55年)4月 『螢雪短大』創刊。
1988年(昭和63年)4月 『私大合格』創刊。後『私大螢雪』に改題。
螢雪時代臨時増刊号 [編集]
螢雪時代』は毎月の定期号以外に、タイムリーなテーマ別全情報を網羅した『螢雪時代臨時増刊号』を毎年発刊。 以下は2008年(平成20年)のラインナップ。

『全国大学学部・学科案内号』(4月臨時増刊)
『進路決定資格・検定・職業ガイド』(6月臨時増刊)
『全国大学推薦・AO入試合格対策号』(7月臨時増刊)
『全国大学内容案内号』(8月号)
『全国大学推薦・AO入試年鑑』(9月臨時増刊)
『全国看護・医療・福祉系(大学・短大・専門学校)受験年鑑』(10月臨時増刊)
『全国大学受験年鑑』(11月臨時増刊)
『全国大学小論文入試全出題』(螢雪時代特別編集)
備考 [編集]
日本の大学受験に関する調査においても、欠かせない資料源として活用されている。
かつて文化放送他で放送されていた大学受験ラジオ講座は一時期「旺文社螢雪時代 大学受験ラジオ講座」という名称で放送されていたこともあった。1990年代には上記『蛍雪アルシェ』と関連し、しましまんず司会による「アルシェクラブいてまえラジオ」として放送し、同誌に連載していた講師陣から毎週2名出演していた。
東京都新宿区赤城元町赤城神社境内にある「蛍雪天神」の名は、『螢雪時代』に由来する。戦災により焼失していた北野神社(祭神・菅原道真)を、旺文社の寄付などで再興したものであり、受験生の合格を祈願している。
参考文献 [編集]
『日本国「受験ユーモア」五十五年史』(旺文社、1985年) ISBN 4-01-009601-2
『出す単』(旺文社) ISBN 4-01-009714-0
『英語基本単語集(豆単)』(旺文社) ISBN 4-01-031222-X
『英文標準問題精講』(旺文社) ISBN 4-01-032331-0
『戦後史開封 昭和20年代編(扶桑社文庫)』(産経新聞ニュースサービス、1999年) ISBN 4-594-02694-X
脚注 [編集]
^ 旧制高等教育機関受験に関する雑誌としては、『受験旬報』以前に博文館の『中学世界』[1][2]や研究社の『受験と学生』[3][4]などが発行されていた。
^ 関関同立関西大学関西学院大学同志社大学立命館大学。志願者の多い西の人気私立難関大。「関関同立」 は関西の予備校関係者よる1960(昭和35)年ころの造語とされる。1979(昭和54)年に見る「関関同立」最難関学部の合格難易度(偏差値)は関大(法)60.1、関学(法)61.6、同(法)62.4、立(法)60.3
^ JARパック:それぞれJは上智大学、Aは青山学院大学、Rは立教大学を指す。各々の大学名のイニシャルから、昭和40年代に海外旅行で「JALパック」という言葉が流行していた事に倣って造られた造語。昭和40年代になると女子受験生を中心に上智大学青山学院大学立教大学などのミッション系の有名私立大学に人気が集まるようになった。
^ 日東専駒成成神:日本大学東洋大学専修大学駒澤大学成城大学成蹊大学神奈川大学。1970年代後半に志願者急増を見せ、東の人気中堅私立大学群として1975(昭和50)年前後に造語された。1979(昭和54) 年当時の日東専駒成成神の難易度(偏差値)は日(法)52.3、東(法)51.2、専(法)55.3、駒(法)51.7、成城(法)58.5、成蹊(法)58.6、神(法)54.3。難易度では成城大・成蹊大がこのグループでは突出。
^ 産近甲龍京都産業大学近畿大学甲南大学龍谷大学。志願者の多い西の中堅人気私立大。1975(昭和50)年以降、「関関同立」 に続く大学群として造語され、東の「日東専駒成成神」 に対応する。1979(昭和54)年に見る 「産近甲龍」 難関学部の合格難易度(偏差値)は当時、産(法)52.7、近(法)47.9、甲(法)57.4、龍(法)53.5。
^ 津東本女:津田塾大学東京女子大学日本女子大学。東の私立難関女子大で、1975(昭和50)年ころの造語。1979(昭和54)年に見る各大学難関学部の合格難易度 (偏差値)は津(学芸)63.9、東(文理)61.8、本女(文)60.8。なお、東の女子大難易ランキングを示した「津田の東の本女にはセイントフェリスの泉あり、大妻実践共立の昭和娘(むすめ)の白百合は武蔵野跡に咲き乱る」 なども、女子受験生に人気の大学群津田塾大学東京女子大学日本女子大学聖心女子大学フェリス女学院大学清泉女子大学大妻女子大学実践女子大学共立女子大学昭和女子大学武蔵野女子大学(現武蔵野大学)、跡見学園女子大学。1980<昭和55>年ころの造語)
^ 大東亜帝国大東文化大学東海大学亜細亜大学帝京大学国士館大学からなる私立大学群。昭和末の受験生急増期に志願者を集めた東のグループとして1985(昭和60)年ころに造語。1979(昭和54)年に見る「大東亜帝国」 難関学部の合格難易度(偏差値)は大(法)50.4、東(政経)48.8、亜(法)45.9、帝(法)43.6、国(法)41.9であった。大学間の難易度格差はあったが、合格確保のための安全校として特定受験層に狙われた。大東亜共栄圏大日本帝国をもじって造語された。
^ 赤尾浪士:『螢雪時代』の浪人読者が自らを「赤尾浪士」と称した。旺文社社長赤尾好夫と赤穂の浪士をもじったもの。 旺文社版参考書で受験勉強中の浪人を赤尾浪士と呼んだ。
^ 赤尾の豆単:赤尾好夫編のロングセラー『英語基本単語集』『英語基本単語熟語集』の愛称。「豆単を知らざれば受験生にあらず」 として、受験界で長らく伝えられていた。
^ 赤門入試崩壊:1969(昭和44)年、大学紛争による史上初の東京大学の入試中止。朱塗りの 「赤門」は東大の象徴。
^ 後がこわい入試:新課程入試を翌年に控える旧課程受験生の危機感から生まれる。高等学校の新学習指導要領に準拠して入試の出題形式や内容が変わるので、旧課程卒業の浪人にとっては「後がこわい入試」 「後がない入試」と危惧された。
^ 1・2・3併願作戦:『螢雪時代』が創出した合格確保のための併願基本モデル。例えば、合格難易度から第1志望1校、第2志望2校、第3志望3校とするのが「1・2・3併願作戦」で、さらに入試環境の変化や個人的事情等による1・2・2、1・3・3、1・3・4などのパターンがあった。
^ 「駅弁大学」 とは1949(昭和24)年、大宅壮一が戦後の“雨後の竹の子"のごとく誕生した新制大学を揶揄した造語。 「駅伝大学」 とは正月の箱根駅伝出場により学生募集の宣伝効果(テレビ等)を狙う大学を名指す造語。優勝による志願者数の増加は確実で、一方、駅伝出場により初めて大学名が一般に知られるケースも少なくなかった。平成期(1989年以降)に入り、特に新設大学を含めてその傾向は顕著になった。当初、外国人留学生が箱根路を独走する光景などは、とても想像できるものでなかった。
^ 隔年現象:前年の志願者数増減等の動向により、翌年の志願動向が変わる現象。「前増後減」 現象とも言われた
^ 学歴志向:1960(昭和35)年以降、高度経済成長に支えられて学歴取得のために、上昇した大学進学志向。大学(短大)進学率は1960年10.3%、1965(昭和40)年17.0%、1970(昭和45)年23.6%、1975(昭和50)年38.4%、そして2008(平成20)年には55.3%にまで上昇。
^ 共痛一次:1979(昭和54)年から、国公立大受験者には「共通第一次学力試験」 が課せられ、5教科7科目もの新たな科目増対策は“共に悩み痛む"「共痛一次」となる。
^ 傾斜配点:教科(科目)別の配点が平等型でなく、高低格差のある配点方式を「傾斜配点」と呼んだ。共通第一次学力試験や大学入試センター試験導入などにより、教科(科目)別の配点は学部・学科別や選抜方式別などによって多様化・流動化した。
^ 螢雪広告時代:増加する私立大学(短大)ならびに乱立する予備校にとって、『螢雪時代』は抜群の宣伝効果誌として利用された。『螢雪時代』は有名大学や予備校の『螢雪広告時代』の異名さえあったが、その黄金期には別冊『私大合格』や『私大螢雪』等の刊行された時期もあった。
^ 現低浪高の役:1965(昭和40)年以降1998(平成10)年ころまで、不合格者続出による浪人の大量出現となり、志願者・合格者とも浪人占有率は上昇した。このような構造変化の中、現役苦戦、浪人優勢の 「現低浪高の役(乱)」 は激化の一途をたどった。なお、この現象について、一方で「現苦浪勝の役」 とも言われた。
^ 国落私合・国合私落:1979(昭和54)年の国公立大の共通第一次学力試験導入や入試期別の一本化(期別廃止)等により、国(公)私立大併願の結果に顕著な変化が現れた。例えば、国立大には不合格だが、併願の私立大には合格といった従来の「国落私合」のパターンが崩れ、国立大に合格しても、私立大には不合格といった「国合私落」 の“逆転現象"である。特に私立大上位校と国立大との併願で顕著に見られるようになった。このような受験地図の変貌は、1987(昭和62)年の国公立大入試の複数化前後まで続いた。
^ 国立大一揆:代表例として、(1)1960年代の東京大学京都大学東京教育大学等の学園紛争、(2)入試期日の変更等に伴う国立大学間の相互対立が挙げられる。特に(2)の1987(昭和62)年の複数化入試に伴う日程混乱(京都大法学部等のAB日程“造反")は、受験界に大混乱を招いた「国立大一揆」 の典型例とさた。
^ 『豆単』に続く入試直結のハンディーなポケット判単語集の総称。利用者を“シケ単携帯族"とも呼んだ。
^ 四当五落:「4時間しか眠らず努力する者は合格するが、5時間も眠る怠け者は不合格となる」といった戒めの名言とされる。
^ 受験地獄・受験戦争:競争激化による受験の異常な厳しさを地獄や戦争 になぞらえた造語。「受験地獄・受験戦争」 には『受験旬報』期から続く長い歴史がある。特に戦後では大学 (短大)合格率60%の前期(1960<昭和35>年 - 1970<昭和45>年)および後期の(1983<昭和58>年 - 1994<平成6>年)に乱用された。しかし、2000(平成10) 年以降の受験生数減少や“大学全入時代"を前に、かつての面影は失せつつある。
^ 受験バイブル:『受験旬報』『螢雪時代』は受験界の最も権威ある書として評価され、受験生に「バイブル」とまで呼ばれていた。奇しくも1980(昭和55)年、赤尾好夫はその「広範な教育事業」 に対して、ローマ法王より「銀大勲章付大聖グレゴリオ賞」 を受賞している。
^ 受験風林火山:「風林火山」 とは武田信玄が用いた軍旗に記された孫子の句。「疾きこと風のごとく、序かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」の略記。『受験旬報』時代から受験の金言として親しまれていた。
^ 『受験旬報』以来、受験にはつねに悲しく苦しい“受験ブルース"がつきまとうが、1966(昭和41)年ころ、高石友也作曲の「受験生ブルース」 が大流行した。 奇しくも1966(昭和41)年から1968(昭和43)年にかけた3年間は、史上最多の第一次団塊世代(18歳人口最多は1966年249万)の大学受験となり、未曾有のブルース受験生が誕生 した。大学(短大)志願者は1965(昭和40)年の49万人から、1966年64万人、1967年70万人、 1968年71万人と激増し、逆に合格率は1965年67.0%から1966年61.7%、1967年61.8%と大幅ダウンした。まさに悲しい最悪の「受験ブルース」 「受験エレジー」 時代だったのである。
^ 受験RENTAL症候群:経済の安定化や進学の大衆化(マス化)とともに顕著になった挑戦・リスク回避の“受験レンタル"シンドローム。R-riskの少ない(合格安全)、E-energyの消費が少ない(少数科目)、N-nearで近場にある(近接大学)、T-togetherで行ける(仲間と一緒)、A-amenityに満ちた(快適環境)、L-look&locationに恵まれた(都市型)など、新たな大学選びの風潮を言う。
^ 女子の大合短落:女子短大卒の就職好調期に、系列の四年制大学には合格できても短大には不合格といった「大合短落」 の一時的逆転現象が見られた。
^ 女子亡大論・男子亡大論:1962(昭和37)年、早稲田大学文学部の日軍峻康隆教授による「女子学生亡国論」 は社会的大論争を巻き起こした。これを契機として、女子による教室独占が大学を亡ぼすといった極論まで現れ、「女子亡大論」 が登場した。ちなみに、1962年の全大学に見る文学部の女子占有率は37%で、上位校では学習院大学89%、青山学院大学86%、成城大学となっていた。その後、1966(昭和41)年には国立の熊本大学九州大学富山大学等の薬学部で女子学生入学制限の動きも出たが、これは卒業生の猛反対で断念に追いやられた。そのころ一方で、「男子亡大論」も賑やかに登場し始めた。ちなみに、女子の大学進学率の推移は1960(昭和35)年2.5%、1970(昭和45年) 6.5%、1980 (昭和55年)12.3%、1990(平成2)年15.2%、2000(平成12)年31.5%、そして2008(平成20)年には42.6%と加速的上昇を続けている。
^ SKYラーク:大学受験者急増の1980(昭和55)年前後から、全国各地に予備校の乱立が顕著となった。予備校は大量浪人の“駆込寺"と化した。中でも大手の駿台予備学校(S)、河合塾(K)、代々木ゼミナール(Y)は一挙に全国展開を開始した。それは空高く舞い上がる春のヒバリ(ラーク)を彷彿させた。このころ、予備校に関するユーモアも激増した。
^ スベリ台受験:学力選抜中心の受験生急増期、低学力では第3、第4志望校でもスベリ止めにならない「スベリ台大学」 が増加した。ちなみに大学(短大)の不合格者数は1975(昭和50)年22万人、1980(昭和55)年24万人、1985(昭和60)年26万人、1990 (平成2)年43万人と増加を続け、その後は1991(平成3)年42万人、1995(平成7)年33万人、 2008(平成20)年6万人と減少している。 大学キャンパスから今、””受験スベリ台””は撤去されつつある。
^ 全国大学入学難易ランキング:前年11月に実施する旺文社最終の大学模擬試験結果と、翌年の合否追跡調査等の分析から算出される大学難易ランキング。旺文社では1951(昭和29)年から先駆的かつ全国最大規模の大学模擬試験を実施。最盛時には45万人の受験生が参加。この膨大なデータ(模擬試験偏差値)を集大成したのが、1952(昭和30)年以降の『螢雪時代』本誌企画ならびに1960(昭和40)年代後半からの特別付録 「全国大学(学部・学科)難易ランキング」 である。
^ 大学受験難民・隠れ浪人:大学受験浪人が急増した第一期は第一次団塊世代受験の1967(昭和42)年から翌々年まで、第二期は第二次団塊世代が受験した1986 (昭和61)年から1992(平成4)年とされている。第一期のピークには27万人、第二期のピークには43万人を数え、きわめて憂慮すべき「大学受験難民」 時代と呼ばれた。その一方、不本意入学で再受験を目指す大学生も多く、“隠れキリシタン"になぞらえて「隠れ浪人」 「偽装浪人」とも呼ばれていた。
^ 大学評価ランキング:大学ミシュラン評価とも。偏差値一辺倒で入れそうな大学を選び、しかも見栄と世間体、親や学校の期待に応えるために、評判のよさそうな大学を選び 受験・合格した。しかし、入学してみると、授業がつまらない、魅力的な教授やカリキュラムがない、雰囲気が気に入らない、……。」 こんな読者からの共通不満に答えるために1987(昭和62)年、わが国初の『100大学BEST CHOICE』を『螢雪時代』別冊として刊行したが、その編集内容は満足度21項目をミシュラン方式(五つ星)で評価した異色のガイドブックとなった。その後の各社に見られる大学評価の先鞭書となったのである。
^ 大学ベルリンの壁:戦後の国立大一期・二期時代から期別廃止時代を経て1986(昭和61)年の長期にわたり、東京大学京都大学との受験は不可能であった。両大学受験はこの入試日程上の“ベルリンの壁"によって阻止されていた。 しかし、1987年の国立大入試期日の複数化により東大はB日程、京大はA日程(法学部のみ変則的AB分割)と分離され、ここに初めて東西トップ校の受験が可能となった。これを機にようやく東大・京大併願の“ベルリンの壁"は崩壊することになったのである。
^ 都立校沈没:1970(昭和45)年、東京大学合格者ランキングに大異変が起きた。1950(昭和25)年以降、東大合格トップの座(1964年2位、1969年東大入試中止を除く)を占めていた都立日比谷高校が5位に急落し、以後ベスト10からその姿を完全に消している。都立校全体としても1978(昭和53)年以降、ベスト10に入った高校は皆無であるが、その原因は1967(昭和42)年から導入の都立学校群制度によるものである。ちなみに、1970年は学校群制度による初回卒業の大学入試であった。
^ 二期コンプレ:1978(昭和53)年まで国立大は一期校、二期校の入試日程別にグルーピングされていた。一期校は東京大学京都大学など旧帝大系や東京では一橋大学東京工業大学お茶の水女子大学などの第一志望校が多く、一方、二期校の多くは地方大学で第二志望校として定着していた。したがって、一期校に失敗して、二期校に合格した受験生の多くには、進学後もいわゆる「二期校進学コンプレックス」 があった。しかし、1987(昭和62)年の入試期日一本化以降、大学改革や格差解消等もあって「二期コンプレッ(クス)」 「二期アレ(ルギー)」 は消えつつある。
^ 入試怪革:入試改革の多くが、「入試怪革」 「改革災害」 の様相を呈した。例えば1979(昭和54)年の国公立大の期別廃止、さらには1987(昭和62)年の国公立大複数化入試の復活(AB日程グループ)などである。特に直近の複数化入試に関しては京都大学の“日程反乱"、さらには初年度に見る受験史上最多の京大合格者数1,481人増の発表(対募集定員)、一方では東大入学辞退者290人(1988<昭和63>年381人)の異常な合格者発表などが混乱の一端を実証している。国公立大全体としても当初の募集定員割れが約9,500人、追加合格により今度は約3,000人もの定員超過等々、 入学者選抜の異常化・混乱化が露呈した。その後1990(平成2)年から窮余の一策的対応によりようやく混乱を静めたのである。受験機会の複数化を標榜するものの、例えば当初には、東大・一橋大・東京工大・お茶の水女子大等の併願は閉ざされていた。
^ 入りたい大学・入れる大学:入学が選抜試験による限り、希望する大学にだれもが入れる保証はない。「受験旬報」 時代から「入りたい大学・入れる大学」 は登場するが、受験生の多くはまず入りたい大学を目指し、その合格実現に向けて努力するのである。しかし、この“入りたい"から“入れる" 志向へのシフト変化が顕著になったのは競争激化と進学のマス期に始まったようだ。それは“挑戦か"“安全か"の受験志向のの二極化でもある。
^ ヒール剥がし:女子の大学進学が高まり、「女子学生亡国論」 「女子亡大論」 が登場し始めたころ、私立大の一部には女子入学の抑制対策が側聞された。女子は卒業後の大学貢献度が少ないなどの理由によるもので、合格線上の得点を下方調整(カット)する「ヒール剥がし」 であった。噂の域を出なかったが、特に男子中心校で話題になっていたようだ。 (「女子亡大論・男子亡大論」 参照)
^ フォッサ・マグナ分割:1987(昭和62)年、国公立大では初の入試日程別の複数化入試を実施した。特に注目されたのは、国立大A日程グループには西の旧帝大系である名古屋大学京都大学(法学部はAB)・大阪大学九州大学が含まれ、Bグループには東の旧帝大系の北海道大学東北大学東京大学が含まれる区分けである。この旧帝大系大学に見 る大東西分割の線引きがいわゆる「フォッサ・マグナ分割」 の由来である。なお、その他の大学については旧一期校・二期校時代の発想を踏襲しつつ、AB日程別に配分されたのである。
^ 富士山・八ヶ岳五色沼:1975(昭和50) 年当時、大学間の格差拡大を懸念した永井道雄文部大臣は「富士山型から八ヶ岳」 大学を提案した。しかし、受験生からはより柔軟な個性豊かな大学教育の「五色沼型」 を要望する声が上がり始めた。
^ マスプロ大学:1970(昭和45)年前後から問題化した「マスプロ教育」 「マスプロ教室」。
^ 万年浪人:進学の夢がかなわず、長い年月にわたって受験生活を強いられている浪人のこと。『受験旬報』時代からのユーモア的受験生用語。
^ 模擬死験:模擬試験偏重と乱立時代、毎週のように模擬試験参加が強制された特に高校生。加えて、あまりにも異なる合格可能性は混乱・挫折に陥れ、なかには自殺者まで出した。受験校選定・突破のための模擬試験やそのデータが、死にまで追い込んだ最悪の悲劇はまさに「模擬」に終わらないの“死への現実"となった。
^ 6・3・3α:大学受験者数の増加と現役不合格者数の急増で、1975(昭和50)年から1995(平成7)年にわたり、多くの浪人は予備校を利用した(予備校黄金期)。この時期の大学(短大)合格率は70%台から60%台にまでダウンを続けた。このような状況下、わが国の中等教育は「6・3・3α」 の様相を露呈した。
^ 渡り鳥受験:「渡り鳥受験」とは渡り鳥のように合格校確保のために併願校を渡り歩くこと。例えば1・3・4併願の渡り鳥受験は計8校にもなる。合格率低下の1966(昭和41)年前後、さらには1983(昭和58)年から1994(平成6)年にかけて渡り鳥受験 は特に目立ったいてた。
外部リンク [編集]
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%A2%E9%9B%AA%E6%99%82%E4%BB%A3」より作成
カテゴリ: 日本の雑誌 | 受験雑誌 | 高等教育 | 入学試験 | 日本の大学受験 | 1930年代創刊の雑誌 | 旺文社

最終更新 2010年1月24日 (日) 18:05

路上=【約5万3000字】芥川龍之介

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【ブログ=穴埋め・論述問題】

路上=【約5万3000字】
芥川龍之介



        一

 午砲《どん》を打つと同時に、ほとんど人影の見えなくなった大学の図書館《としょかん》は、三十分|経《た》つか経たない内に、もうどこの机を見ても、荒方《あらかた》は閲覧人で埋《う》まってしまった。
 机に向っているのは大抵《たいてい》大学生で、中には年輩の袴《はかま》羽織や背広も、二三人は交っていたらしい。それが広い空間を規則正しく塞《ふさ》いだ向うには、壁に嵌《は》めこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてその入口の両側には、見上げるような大書棚《おおしょだな》が、何段となく古ぼけた背皮を並べて、まるで学問の守備でもしている砦《とりで》のような感を与えていた。
 が、それだけの人間が控えているのにも関《かかわ》らず、図書館の中はひっそりしていた。と云うよりもむしろそれだけの人間がいて、始めて感じられるような一種の沈黙が支配していた。書物の頁を飜《ひるがえ》す音、ペンを紙に走らせる音、それから稀《まれ》に咳《せき》をする音――それらの音さえこの沈黙に圧迫されて、空気の波動がまだ天井まで伝わらない内に、そのまま途中で消えてしまうような心もちがした。
 俊助《しゅんすけ》はこう云う図書館の窓際の席に腰を下して、さっきから細かい活字の上に丹念《たんねん》な眼を曝《さら》していた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だと云う事は、制服の襟にあるLの字で、問うまでもなく明かだった。
 彼の頭の上には高い窓があって、その窓の外には茂った椎《しい》の葉が、僅《わずか》に空の色を透《す》かせた。空は絶えず雲の翳《かげ》に遮《さえぎ》られて、春先の麗《うら》らかな日の光も、滅多《めった》にさしては来なかった。さしてもまた大抵は、風に戦《そよ》いでいる椎の葉が、朦朧《もうろう》たる影を書物の上へ落すか落さない内に消えてしまった。その書物の上には、色鉛筆の赤い線が、何本も行《ぎょう》の下に引いてあった。そうしてそれが時の移ると共に、次第に頁から頁へ移って行った。……
 十二時半、一時、一時二十分――書庫の上の時計の針は、休みなく確かに動いて行った。するとかれこれ二時かとも思う時分、図書館の扉口《とぐち》に近い、目録《カタログ》の函《はこ》の並んでいる所へ、小倉《こくら》の袴に黒木綿《くろもめん》の紋附《もんつき》をひっかけた、背の低い角帽が一人、無精《ぶしょう》らしく懐手《ふところで》をしながら、ふらりと外からはいって来た。これはその懐からだらしなくはみ出したノオト・ブックの署名によると、やはり文科の学生で、大井篤夫《おおいあつお》と云う男らしかった。
 彼はそこに佇《たたず》んだまま、しばらくはただあたりの机を睨《ね》めつけたように物色していたが、やがて向うの窓を洩れる大幅《おおはば》な薄日《うすび》の光の中に、余念なく書物をはぐっている俊助の姿が目にはいると、早速《さっそく》その椅子《いす》の後《うしろ》へ歩み寄って、「おい」と小さな声をかけた。俊助は驚いたように顔を挙げて、相手の方を振返ったが、たちまち浅黒い頬《ほお》に微笑を浮べて「やあ」と簡単な挨拶をした。と、大井も角帽をかぶったなり、ちょいと顋《あご》でこの挨拶に答えながら、妙に脂下《やにさが》った、傲岸《ごうがん》な調子で、
「今朝《けさ》郁文堂《いくぶんどう》で野村さんに会ったら、君に言伝《ことづ》てを頼まれた。別に差支えがなかったら、三時までに『鉢《はち》の木《き》』の二階へ来てくれと云うんだが。」

        二

「そうか。そりゃ難有《ありがと》う。」
 俊助《しゅんすけ》はこう云いながら、小さな金時計を出して見た。すると大井《おおい》は内懐《うちぶところ》から手を出して剃痕《そりあと》の青い顋《あご》を撫《な》で廻しながら、じろりとその時計を見て、
「すばらしい物を持っているな。おまけに女持ちらしいじゃないか。」
「これか。こりゃ母の形見だ。」
 俊助はちょいと顔をしかめながら、無造作《むぞうさ》に時計をポッケットへ返すと、徐《おもむろ》に逞《たくま》しい体を起して、机の上にちらかっていた色鉛筆やナイフを片づけ出した。その間《あいだ》に大井は俊助の読みかけた書物を取上げて、好《い》い加減に所々《ところどころ》開けて見ながら、
「ふん Marius the Epicurean か。」と、冷笑するような声を出したが、やがて生欠伸《なまあくび》を一つ噛《か》み殺すと、
「俊助ズィ・エピキュリアンの近況はどうだい。」
「いや、一向|振《ふる》わなくって困っている。」
「そう謙遜するなよ。女持ちの金時計をぶら下げているだけでも、僕より遥に振っているからな。」
 大井は書物を抛《ほう》り出して、また両手を懐へ突こみながら、貧乏|揺《ゆす》りをし始めたが、その内に俊助が外套《がいとう》へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、
「おい、君は『城《しろ》』同人《どうじん》の音楽会の切符を売りつけられたか。」と真顔《まがお》になって問いかけた。
『城』と言うのは、四五人の文科の学生が「芸術の為の芸術」を標榜《ひょうぼう》して、この頃発行し始めた同人雑誌の名前である。その連中の主催する音楽会が近々|築地《つきじ》の精養軒《せいようけん》で開かれると云う事は、法文科の掲示場《けいじば》に貼ってある広告で、俊助も兼ね兼ね承知していた。
「いや、仕合せとまだ売りつけられない。」
 俊助は正直にこう答えながら、書物を外套の腋《わき》の下へ挟《はさ》むと、時代のついた角帽をかぶって、大井と一しょに席を離れた。と、大井も歩きながら、狡猾《こうかつ》そうに眼を働かせて、
「そうか、僕はもう君なんぞはとうに売りつけられたと思っていた。じゃこの際是非一枚買ってやってくれ。僕は勿論『城』同人じゃないんだが、あすこの藤沢《ふじさわ》に売りつけ方《かた》を委託《いたく》されて、実は大いに困却しているんだ。」
 不意打を食った俊助は、買うとか買わないとか答える前に、苦笑《くしょう》しずにはいられなかった。が、大井は黒木綿の紋附の袂《たもと》から、『城』同人の印《マアク》のある、洒落《しゃ》れた切符を二枚出すと、それをまるで花札《はなふだ》のように持って見せて、
「一等が三円で、二等が二円だ。おい、どっちにする? 一等か。二等か。」
「どっちも真平《まっぴら》だ。」
「いかん。いかん。金時計の手前に対しても、一枚だけは買う義務がある。」
 二人はこんな押問答を繰返しながら、閲覧人で埋《う》まっている机の間を通りぬけて、とうとう吹き曝《さら》しの玄関へ出た。するとちょうどそこへ、真赤な土耳其《トルコ》帽をかぶった、痩《や》せぎすな大学生が一人、金釦《きんボタン》の制服に短い外套を引っかけて、勢いよく外からはいって来た。それが出合頭《であいがしら》に大井と顔を合せると、女のような優しい声で、しかもまた不自然なくらい慇懃《いんぎん》に、
「今日《こんにち》は。大井さん。」と、声をかけた。

        三

「やあ、失敬。」
 大井《おおい》は下駄箱《げたばこ》の前に立止ると、相不変《あいかわらず》図太い声を出した。が、その間《あいだ》も俊助《しゅんすけ》に逃げられまいと思ったのか、剃痕《そりあと》の青い顋《あご》で横柄《おうへい》に土耳其帽《トルコぼう》をしゃくって見せて、
「君はまだこの先生を知らなかったかな。仏文の藤沢慧《ふじさわさとし》君。『城』同人《どうじん》の大将株で、この間ボオドレエル詩抄と云う飜訳を出した人だ。――こっちは英文の安田俊助《やすだしゅんすけ》君。」と、手もなく二人を紹介してしまった。
 そこで俊助も已《や》むを得ず、曖昧《あいまい》な微笑を浮べながら、角帽を脱いで黙礼した。が、藤沢は、俊助の世慣れない態度とは打って変った、いかにも如才《じょさい》ない調子で、
「御噂《おうわさ》は予々《かねがね》大井さんから、何かと承わって居りました。やはり御創作をなさいますそうで。その内に面白い物が出来ましたら、『城』の方へ頂きますから、どうかいつでも御遠慮なく。」
 俊助はまた微笑したまま、「いや」とか「いいえ」とか好《い》い加減な返事をするよりほかはなかった。すると今まで皮肉な眼で二人を見比べていた大井が、例の切符を土耳其帽《トルコぼう》に見せると、
「今、大いに『城』同人へ御忠勤を抽《ぬき》んでている所なんだ。」と、自慢がましい吹聴《ふいちょう》をした。
「ああ、そう。」
 藤沢は気味の悪いほど愛嬌《あいきょう》のある眼で、ちょいと俊助と切符とを見比べたが、すぐその眼を大井へ返して、
「じゃ一等の切符を一枚差上げてくれ給え。――失礼ですけれども、切符の御心配はいりませんから、聴きにいらして下さいませんか。」
 俊助は当惑《とうわく》そうな顔をして、何度も平《ひら》に辞退しようとした。が、藤沢はやはり愛想よく笑いながら、「御迷惑でもどうか」を繰返して、容易に出した切符を引込めなかった。のみならず、その笑の後《うしろ》からは、万一断られた場合には感じそうな不快さえ露骨に透《す》かせて見せた。
「じゃ頂戴して置きます。」
 俊助はとうとう我《が》を折って、渋々その切符を受取りながら、素《そ》っ気《け》ない声で礼を云った。
「どうぞ。当夜は清水昌一《しみずしょういち》さんの独唱《ソロ》もある筈になっていますから、是非大井さんとでもいらしって下さい。――君は清水さんを知っていたかしら。」
 藤沢はそれでも満足そうに華奢《きゃしゃ》な両手を揉《も》み合せて、優しくこう大井へ問いかけると、なぜかさっきから妙な顔をして、二人の問答を聞いていた大井は、さも冗談じゃないと云うように、鼻から大きく息を抜いて、また元の懐手《ふところで》に返りながら、
「勿論知らん。音楽家と犬とは昔から僕にゃ禁物《きんもつ》だ。」
「そう、そう、君は犬が大嫌いだったっけ。ゲエテも犬が嫌いだったと云うから、天才は皆そうなのかも知れない。」
 土耳其帽《トルコぼう》は俊助の賛成を求める心算《つもり》か、わざとらしく声高《こわだか》に笑って見せた。が、俊助は下を向いたまま、まるでその癇高《かんだか》い笑い声が聞えないような風をしていたが、やがてあの時代のついた角帽の庇《ひさし》へ手をかけると、二人の顔を等分に眺めながら、
「じゃ僕は失敬しよう。いずれまた。」と、取ってつけたような挨拶《あいさつ》をして、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》石段を下りて行った。

        四

 二人に別れた俊助《しゅんすけ》はふと、現在の下宿へ引き移った事がまだ大学の事務所まで届けてなかったのを思い出した。そこでまたさっきの金時計を出して見ると、約束の三時までにはかれこれ三十分足らずも時間があった。彼はちょいと事務所へ寄る事にして、両手を外套《がいとう》の隠しへ突っこみながら、法文科大学の古い赤煉瓦《あかレンガ》の建物の方へ、ゆっくりした歩調で歩き出した。
 と、突然頭の上で、ごろごろと春の雷《らい》が鳴った。仰向《あおむ》いて見ると、空はいつの間にか灰汁桶《あくおけ》を掻《か》きまぜたような色になって、そこから湿っぽい南風《みなみかぜ》が、幅の広い砂利道《じゃりみち》へ生暖く吹き下して来た。俊助は「雨かな」と呟きながら、それでも一向急ぐ気色《けしき》はなく、書物を腋《わき》の下に挟《はさ》んだまま、悠長な歩みを続けて行った。
 が、そう呟くか呟かない内に、もう一度かすかに雷《らい》が鳴って、ぽつりと冷たい滴《しずく》が頬に触れた。続いてまた一つ、今度は触るまでもなく、際どく角帽の庇を掠《かす》めて、糸よりも細い光を落した。と思うと追々に赤煉瓦の色が寒くなって、正門の前から続いている銀杏《いちょう》の並木の下まで来ると、もう高い並木の梢《こずえ》が一面に煙って見えるほど、しとしとと雨が降り出した。
 その雨の中を歩いて行く俊助の心は沈んでいた。彼は藤沢の声を思い出した。大井の顔も思い出した。それからまた彼等が代表する世間なるものも思い出した。彼の眼に映じた一般世間は、実行に終始するのが特色だった。あるいは実行するのに先立って、信じてかかるのが特色だった。が、彼は持って生れた性格と今日《こんにち》まで受けた教育とに煩《わずら》わされて、とうの昔に大切な、信ずると云う機能を失っていた。まして実行する勇気は、容易に湧いては来なかった。従って彼は世間に伍《ご》して、目まぐるしい生活の渦の中へ、思い切って飛びこむ事が出来なかった。袖手《しゅうしゅ》をして傍観す――それ以上に出る事が出来なかった。だから彼はその限りで、広い世間から切り離された孤独を味うべく余儀なくされた。彼が大井と交際していながら、しかも猶《なお》俊助ズィ・エピキュリアンなどと嘲《ののし》られるのはこのためだった。まして土耳其帽《トルコぼう》の藤沢などは……
 彼の考がここまで漂流して来た時、俊助は何気《なにげ》なく頭を擡《もた》げた。擡げると彼の眼の前には、第八番教室の古色蒼然たる玄関が、霧のごとく降る雨の中に、漆喰《しっくい》の剥《は》げた壁を濡らしていた。そうしてその玄関の石段の上には、思いもよらない若い女がたった一人|佇《たたず》んでいた。
 雨脚《あまあし》の強弱はともかくも、女は雨止《あまや》みを待つもののごとく、静に薄暗い空を仰いでいた。額にほつれかかった髪の下には、潤《うるお》いのある大きな黒瞳《くろめ》が、じっと遠い所を眺めているように見えた。それは白い――と云うよりもむしろ蒼白い顔の色に、ふさわしい二重瞼《ふたえまぶた》だった。着物は――黒い絹の地へ水仙《すいせん》めいた花を疎《まばら》に繍《ぬ》い取った肩懸けが、なだらかな肩から胸へかけて無造作《むぞうさ》に垂れているよりほかに、何も俊助の眼には映らなかった。
 女は俊助が首を擡《もた》げたのと前後して、遠い空から彼の上へうっとりとその黒瞳勝《くろめが》ちな目を移した。それが彼の眼と出合った時、女の視線はしばらくの間《あいだ》、止まるとも動くともつかず漂っていた。彼はその刹那《せつな》、女の長い睫毛《まつげ》の後《うしろ》に、彼の経験を超越した、得体の知れない一種の感情が揺曳《ようえい》しているような心もちがした。が、そう思う暇《ひま》もなく、女はまた眼を挙げて、向うの講堂の屋根に降る雨の脚を眺め出した。俊助は外套の肩を聳やかせて、まるで女の存在を眼中に置かない人のように、冷然とその前を通り過ぎた。三度《さんど》頭の上の雲を震わせた初雷《はつらい》の響を耳にしながら。

        五

 雨に濡れた俊助《しゅんすけ》が『鉢《はち》の木《き》』の二階へ来て見ると、野村《のむら》はもう珈琲茶碗《コオヒイじゃわん》を前に置いて、窓の外の往来へ退屈そうな視線を落していた。俊助は外套《がいとう》と角帽とを給仕の手に渡すが早いか、勢いよく野村の卓子《テエブル》の前へ行って、「待たせたか」と云いながら、どっかり曲木《まげき》の椅子《いす》へ腰を下した。
「うん、待たない事もない。」
 ほとんど鈍重な感じを起させるほど、丸々と肥満した野村は、その太い指の先でちょいと大島の襟を直しながら、細い鉄縁《てつぶち》の眼鏡越しにのんびりと俊助の顔を見た。
「何にする? 珈琲か。紅茶か。」
「何でも好い。――今、雷《かみなり》が鳴ったろう。」
「うん、鳴ったような気もしない事はない。」
「相不変《あいかわらず》君はのんきだな。また認識の根拠は何処《いずく》にあるかとか何とか云う問題を、御苦労様にも考えていたんだろう。」
 俊助は金口《きんぐち》の煙草《たばこ》に火をつけると、気軽そうにこう云って、卓子《テエブル》の上に置いてある黄水仙《きずいせん》の鉢へ眼をやった。するとその拍子《ひょうし》に、さっき大学の中で見かけた女の眼が、何故《なぜ》か一瞬間|生々《いきいき》と彼の記憶に浮んで来た。
「まさか――僕は犬と遊んでいたんだ。」
 野村は子供のように微笑しながら、心もち椅子をずらせて、足下《あしもと》に寝ころんでいた黒犬を、卓子掛《テエブルクロオス》の陰からひっぱり出した。犬は毛の長い耳を振って、大きな欠伸《あくび》を一つすると、そのまままたごろりと横になって、仔細《しさい》らしく俊助の靴の※[#「均のつくり」、第3水準1-14-75]《におい》を嗅ぎ出した。俊助は金口《きんぐち》の煙を鼻へ抜きながら、気がなさそうに犬の頭を撫《な》でてやった。
「この間、栗原《くりはら》の家《うち》にいたやつを貰って来たんだ。」
 野村は給仕の持って来た珈琲を俊助の方へ押しやりながら、また肥った指の先を着物の襟へちょいとやって、
「あすこじゃこの頃、家中《うちじゅう》がトルストイにかぶれているもんだから、こいつにも御大層なピエルと云う名前がついている。僕はこいつより、アンドレエと云う犬の方が欲しかったんだが、僕自身ピエルだから、何でもピエルの方をつれて行けと云うんで、とうとうこいつを拝領させられてしまったんだ。」
 と、俊助は珈琲茶碗を唇《くちびる》へ当てながら、人の悪い微笑を浮べて、調戯《からか》うように野村を一瞥した。
「まあピエルで満足しとくさ。その代りピエルなら、追っては目出度くナタシアとも結婚出来ようと云うもんだ。」
 野村もこれには狼狽《ろうばい》したものと見えて、しばらくは顔を所斑《ところまだら》に赤くしたが、それでも声だけはゆっくりした調子で、
「僕はピエルじゃない。と云って勿論アンドレエでもないが――」
「ないが、とにかく初子女史《はつこじょし》のナタシアたる事は認めるだろう。」
「そうさな、まあ御転婆《おてんば》な点だけは幾分認めない事もないが――」
「序《ついで》に全部認めちまうさ。――そう云えばこの頃初子女史は、『戦争と平和』に匹敵《ひってき》するような長篇小説を書いているそうじゃないか。どうだ、もう追《おっ》つけ完成しそうかね。」
 俊助はようやく鋒芒《ほうぼう》をおさめながら、短くなった金口《きんぐち》を灰皿の中へ抛《ほう》りこんで、やや皮肉にこう尋ねた。

        六

「実はその長篇小説の事で、今日は君に来て貰ったんだが。」
 野村は鉄縁《てつぶち》の眼鏡を外《はず》すと、刻銘《こくめい》に手巾《ハンケチ》で玉の曇りを拭いながら、
「初子《はつこ》さんは何でも、新しい『女の一生』を書く心算《つもり》なんだそうだ。まあ 〔Une Vie a` la Tolstoi:〕 と云う所なんだろう。そこでその女主人公《じょしゅじんこう》と云うのが、いろいろ数奇《さっき》な運命に弄《もてあそ》ばれた結果だね。――」
「それから?」
 俊助《しゅんすけ》は鼻を黄水仙の鉢へ持って行きながら、格別気乗りもしていなさそうな声でこう云った。が、野村は細い眼鏡の蔓《つる》を耳の後《うしろ》へからみつけると、相不変《あいかわらず》落着き払った調子で、
「最後にどこかの癲狂院《てんきょういん》で、絶命する事になるんだそうだ。ついてはその癲狂院の生活を描写したいんだが、生憎《あいにく》初子さんはまだそう云う所へ行って見た事がない。だからこの際《さい》誰かの紹介を貰って、どこでも好《い》いから癲狂院を見物したいと云っているんだ。――」
 俊助はまた金口《きんぐち》に火を付けながら、半ば皮肉な表情を浮べた眼で、もう一度「それから?」と云う相図《あいず》をした。
「そこで君から一つ、新田《にった》さんへ紹介してやって貰いたいんだが――新田さんと云うんだろう。あの物質主義者《マテリアリスト》の医学士は?」
「そうだ――じゃともかくも手紙をやって、向うの都合《つごう》を問い合せて見よう。多分差支えはなかろうと思うんだが。」
「そうか。そうして貰えれば、僕の方は非常に難有《ありがた》いんだ。初子さんも勿論《もちろん》大喜びだろう。」
 野村は満足そうに眼を細くして、続けさまに二三度大島の襟を直しながら、
「この頃はまるでその『女の一生』で夢中になっているんだから。一しょにいる親類の娘なんぞをつかまえても、始終その話ばかりしているらしい。」
 俊助は黙って、埃及《エジプト》の煙を吐き出しながら、窓の外の往来へ眼を落した。まだ霧雨《きりあめ》の降っている往来には、細い銀杏《いちょう》の並木が僅に芽を伸ばして、亀《かめ》の甲羅《こうら》に似た蝙蝠傘《こうもりがさ》が幾つもその下を動いて行く。それがまた何故《なぜ》か彼の記憶に、刹那の間さっき遇《あ》った女の眼を思い出させた。……
「君は『城』同人の音楽会へは行かないのか。」
 しばらく沈黙が続いた後《あと》で、野村はふと思出したようにこう尋ねた。と同時に俊助は、彼の心が何分かの間、ほとんど白紙のごとく空《むな》しかったのに気がついた。彼はちょいと顔をしかめて、冷《つめた》くなった珈琲を飲み干すと、すぐに以前のような元気を恢復して、
「僕は行こうと思っている。君は?」
「僕は今朝《けさ》郁文堂《いくぶんどう》で大井《おおい》君に言伝《ことづ》てを頼んだら何でも買ってくれと云うので、とうとう一等の切符を四枚押つけられてしまった。」
「四枚とはまたひどく奮発したものじゃないか。」
「何、どうせ三枚は栗原で買って貰うんだから。――こら、ピエル。」
 今まで俊助の足下《あしもと》に寝ころんでいた黒犬は、この時急に身を起すと、階段の上り口を睨《にら》みながら、凄《すさま》じい声で唸《うな》り出した。犬の気色《けしき》に驚いた野村と俊助とは、黄水仙《きずいせん》の鉢を隔てて向い合いながら、一度にその方へ振り返った。するとちょうどそこにはあの土耳其帽《トルコぼう》の藤沢が、黒いソフトをかぶった大学生と一しょに、雨に濡れた外套を給仕の手に渡している所だった。

        七

 一週間の後《のち》、俊助《しゅんすけ》は築地《つきじ》の精養軒《せいようけん》で催される『城』同人の音楽会へ行った。音楽会は準備が整わないとか云う事で、やがて定刻の午後六時が迫って来ても、容易に開かれる気色《けしき》はなかった。会場の次の間には、もう聴衆が大勢つめかけて、電燈の光も曇るほど盛に煙草の煙を立ち昇らせていた。中には大学の西洋人の教師も、一人二人は来ているらしかった。俊助は、大きな護謨《ごむ》の樹の鉢植が据えてある部屋の隅に佇《たたず》みながら、別に開会を待ち兼ねるでもなく、ぼんやり周囲の話し声に屈托《くったく》のない耳を傾けていた。
 するとどこからか大井篤夫《おおいあつお》が、今日は珍しく制服を着て、相不変《あいかわらず》傲然《ごうぜん》と彼の側へ歩いて来た。二人はちょいと点頭《てんとう》を交換した。
「野村はまだ来ていないか。」
 俊助がこう尋ねると、大井は胸の上に両手を組んで、反身《そりみ》にあたりを見廻しながら、
「まだ来ないようだ。――来なくって仕合せさ。僕は藤沢《ふじさわ》にひっぱられて来たもんだから、もうかれこれ一時間ばかり待たされている。」
 俊助は嘲《あざけ》るように微笑した。
「君がたまに制服なんぞ着て来りゃ、どうせ碌《ろく》な事はありゃしない。」
「これか。これは藤沢の制服なんだ。彼|曰《いわく》、是非僕の制服を借りてくれ給え、そうすると僕はそれを口実に、親爺《おやじ》のタキシイドを借りるから。――そこでやむを得ず、僕がこれを着て、聴きたくもない音楽会なんぞへ出たんだ。」
 大井はあたり構わずこんな事を饒舌《しゃべ》りながら、もう一度ぐるり部屋の中を見渡して、それから、あすこにいるのは誰、ここにいるのは誰と、世間に名の知られた作家や画家を一々俊助に教えてくれた。のみならず序《ついで》を以て、そう云う名士たちの醜聞《スカンダアル》を面白そうに話してくれた。
「あの紋服と来た日にゃ、ある弁護士の細君をひっかけて、そのいきさつを書いた小説を御亭主の弁護士に献じるほど、すばらしい度胸のある人間なんだ。その隣のボヘミアン・ネクタイも、これまた詩よりも女中に手をつけるのが、本職でね。」 
 俊助はこんな醜い内幕《うちまく》に興味を持つべく、余りに所謂《いわゆる》ニル・アドミラリな人間だった。ましてその時はそれらの芸術家の外聞《がいぶん》も顧慮してやりたい気もちがあった。そこで彼は大井が一息ついたのを機会《しお》にして、切符と引換えに受取ったプログラムを拡げながら、話題を今夜演奏される音楽の方面へ持って行った。が、大井はこの方面には全然無感覚に出来上っていると見えて、鉢植《はちうえ》の護謨《ごむ》の葉を遠慮なく爪でむしりながら、
「とにかくその清水昌一《しみずしょういち》とか云う男は、藤沢なんぞの話によると、独唱家《ソロイスト》と云うよりゃむしろ立派な色魔だね。」と、また話を社会生活の暗黒面へ戻してしまった。
 が、幸《さいわい》、その時開会を知らせるベルが鳴って、会場との境の扉《と》がようやく両方へ開かれた。そうして待ちくたびれた聴衆が、まるで潮《うしお》の引くように、ぞろぞろその扉口《とぐち》へ流れ始めた。俊助も大井と一しょにこの流れに誘われて、次第に会場の方へ押されて行ったが、何気《なにげ》なく途中で後を振り返ると、思わず知らず心の中で「あっ」と云う驚きの声を洩《も》らした。

        八

 俊助《しゅんすけ》は会場の椅子《いす》に着いた後《あと》でさえ、まだ全くさっきの驚きから恢復していない事を意識した。彼の心はいつになく、不思議な動揺を感じていた。それは歓喜とも苦痛とも弁別《べんべつ》し難い性質のものだった。彼はこの心の動揺に身を任《まか》せたいと云う欲望もあった。で同時にまたそうしてはならないと云う気も働いていた。そこで彼は少くとも現在以上の動揺を心に齎《もたら》さない方便として、成る可く眼を演壇から離さないような工夫《くふう》をした。
 金屏風《きんびょうぶ》を立て廻した演壇へは、まずフロックを着た中年の紳士が現れて、額《ひたい》に垂れかかる髪をかき上げながら、撫でるように柔《やさ》しくシュウマンを唱《うた》った。それは Ich Kann's nicht fassen, nicht glauben で始まるシャミッソオの歌《リイド》だった。俊助はその舌たるい唄いぶりの中から、何か恐るべく不健全な香気が、発散して来るのを感ぜずにはいられなかった。そうしてこの香気が彼の騒ぐ心を一層|苛立《いらだ》てて行くような気がしてならなかった。だからようやく独唱《ソロ》が終って、けたたましい拍手《はくしゅ》の音が起った時、彼はわずかにほっとした眼を挙げて、まるで救いを求めるように隣席の大井《おおい》を振返った。すると大井はプログラムを丸く巻いて、それを望遠鏡のように眼へ当てながら、演壇の上に頭を下げているシュウマンの独唱家《ソロイスト》を覗《のぞ》いていたが、
「成程《なるほど》、清水《しみず》と云う男は、立派《りっぱ》に色魔たるべき人相《にんそう》を具えているな。」と、呟《つぶや》くような声で云った。
 俊助は初めてその中年の紳士が清水昌一《しみずしょういち》と云う男だったのに気がついた。そこでまた演壇の方へ眼を返すと、今度はそこへ裾模様の令嬢が、盛な喝采《かっさい》に迎えられながら、ヴァイオリンを抱《だ》いてしずしずと登って来る所だった。令嬢はほとんど人形のように可愛かったが、遺憾ながらヴァイオリンはただ間違わずに一通り弾いて行くと云うだけのものだった。けれども俊助は幸《さいわい》と、清水昌一のシュウマンほど悪甘い刺戟に脅《おびや》かされないで、ともかくも快よくチャイコウスキイの神秘な世界に安住出来るのを喜んだ。が、大井はやはり退屈らしく、後頭部を椅子の背に凭《もた》せて、時々無遠慮に鼻を鳴らしていたが、やがて急に思いついたという調子で、
「おい、野村君が来ているのを知っているか。」
「知っている。」
 俊助は小声でこう答えながら、それでもなお眼は金屏風の前の令嬢からほかへ動かさなかった。と、大井は相手の答が物足らなかったものと見えて、妙に悪意のある微笑を漂わせながら、
「おまけにすばらしい美人を二人連れて来ている。」と、念を押すようにつけ加えた。
 が、俊助は何とも答えなかった。そうして今までよりは一層熱心に演壇の上から流れて来るヴァイオリンの静かな音色《ねいろ》に耳を傾けているらしかった。……
 それからピアノの独奏と四部合唱とが終って、三十分の休憩時間になった時、俊助は大井に頓着《とんちゃく》なく、逞《たくまし》い体を椅子《いす》から起して、あの護謨《ごむ》の樹の鉢植のある会場の次の間へ、野村の連中を探しに行った。しかし後に残った大井の方は、まだ傲然《ごうぜん》と腕組みをしたまま、ただぐったりと頭を前へ落して、演奏が止んだのも知らないのか、いかにも快よさそうに、かすかな寝息を洩らしていた。

        九

 次の間《ま》へ来て見ると、果して野村《のむら》が栗原《くりはら》の娘と並んで、大きな暖炉《だんろ》の前へ佇《たたず》んでいた。血色《けっしょく》の鮮かな、眼にも眉《まゆ》にも活々《いきいき》した力の溢《あふ》れている、年よりは小柄《こがら》な初子《はつこ》は、俊助《しゅんすけ》の姿を見るが早いか、遠くから靨《えくぼ》を寄せて、気軽くちょいと腰をかがめた。と、野村も広い金釦《きんボタン》の胸を俊助の方へ向けながら、度の強い近眼鏡の後《うしろ》に例のごとく人の好さそうな微笑を漲《みなぎ》らせて、鷹揚《おうよう》に「やあ」と頷《うなず》いて見せた。俊助は暖炉の上の鏡を背負って、印度更紗《インドさらさ》の帯をしめた初子と大きな体を制服に包んだ野村とが、向い合って立っているのを眺めた時、刹那《せつな》の間《あいだ》彼等の幸福が妬《ねたま》しいような心もちさえした。
「今夜はすっかり遅くなってしまった。何しろ僕等の方は御化粧に手間が取れるものだから。」
 俊助と二言《ふたこと》三言《みこと》雑談を交換した後で、野村は大理石のマントル・ピイスへ手をかけながら、冗談のような調子でこう云った。
「あら、いつ私《わたし》たちが御手間を取らせて? 野村さんこそ御出でになるのが遅かったじゃないの?」
 初子はわざと濃《こ》い眉をひそめて、媚《こ》びるように野村の顔を見上げたが、すぐにまたその視線を俊助の方へ投げ返すと、
「先日は私妙な事を御願いして――御迷惑じゃございませんでしたの?」
「いや、どうしまして。」
 俊助はちょいと初子に会釈《えしゃく》しながら、後はやはり野村だけへ話しかけるような態度で、
「昨日《きのう》新田《にった》から返事が来たが、月水金の内でさえあれば、いつでも喜んで御案内すると云うんだ。だからその内で都合《つごう》の好《い》い日に参観して来給え。」
「そうか。そりゃ難有《ありがと》う。――で、初子さんはいつ行って見ます?」
「いつでも。どうせ私用のない体なんですもの。野村さんの御都合で極《き》めて頂けば好いわ。」
「僕が極《き》めるって――じゃ僕も随行を仰せつかるんですか。そいつは少し――」
 野村は五分刈《ごぶがり》の頭へ大きな手をやって、辟易《へきえき》したらしい気色を見せた。と、初子は眼で笑いながら、声だけ拗《す》ねた調子で、
「だって私その新田さんって方にも、御目にかかった事がないんでしょう。ですもの、私たちだけじゃ行かれはしないわ。」
「何、安田の名刺を貰って行けば、向うでちゃんと案内してくれますよ。」
 二人がこんな押問答を交換していると、突然、そこへ、暁星学校《ぎょうせいがっこう》の制服を着た十《とお》ばかりの少年が、人ごみの中をくぐり抜けるようにして、勢いよく姿を現した。そうしてそれが俊助の顔を見ると、いきなり直立不動の姿勢をとって、愛嬌《あいきょう》のある挙手《きょしゅ》の礼をして見せた。こちらの三人は思わず笑い出した。中でも一番大きな声を出して笑ったのは、野村だった。
「やあ、今夜は民雄《たみお》さんも来ていたのか。」
 俊助は両手で少年の肩を抑えながら、調戯《からか》うようにその顔を覗《のぞ》きこんだ。
「ああ、皆で自動車へ乗って来たの。安田さんは?」
「僕は電車で来た。」
「けちだなあ、電車だなんて。帰りに自動車へ乗せて上げようか。」
「ああ、乗せてくれ給え。」
 この間《あいだ》も俊助は少年の顔を眺めながら、しかも誰かが民雄の後《あと》を追って、彼等の近くへ歩み寄ったのを感ぜずにはいられなかった。

        十

 俊助《しゅんすけ》は眼を挙げた。と、果して初子《はつこ》の隣に同年輩の若い女が、紺地に藍の竪縞《たてじま》の着物の胸を蘆手模様《あしでもよう》の帯に抑えて、品よくすらりと佇《たたず》んでいた。彼女は初子より大柄《おおがら》だった。と同時に眼鼻立ちは、愛くるしかるべき二重瞼《ふたえまぶた》までが、遥に初子より寂しかった。しかもその二重瞼の下にある眼は、ほとんど憂鬱とも形容したい、潤《うる》んだ光さえ湛《たた》えていた。さっき会場へはいろうとする間際に、偶然|後《うしろ》へ振り返った、俊助の心を躍らせたものは、実にこのもの思わしげな、水々しい瞳《ひとみ》の光だった。彼はその瞳の持ち主と咫尺《しせき》の間に向い合った今、再び最前の心の動揺を感じない訳には行かなかった。
「辰子《たつこ》さん。あなたまだ安田さんを御存知なかったわね。――辰子さんと申しますの。京都の女学校を卒業なすった方《かた》。この頃やっと東京詞《とうきょうことば》が話せるようになりました。」
 初子は物慣《ものな》れた口ぶりで、彼女を俊助に紹介した。辰子は蒼白い頬《ほお》の底にかすかな血の色を動かして、淑《しとや》かに束髪《そくはつ》の頭を下げた。俊助も民雄の肩から手を離して、叮嚀《ていねい》に初対面の会釈《えしゃく》をした。幸《さいわい》、彼の浅黒い頬がいつになく火照《ほて》っているのには、誰も気づかずにいたらしかった。
 すると野村も横合いから、今夜は特に愉快そうな口を出して、
「辰子さんは初子さんの従妹《いとこ》でね、今度絵の学校へはいるものだから、それでこっちへ出て来る事になったんだ。所が毎日初子さんが例の小説の話ばかり聞かせるので、余程体にこたえるのだろう。どうもこの頃はちと健康が思わしくない。」
「まあ、ひどい。」
 初子と辰子とは同時にこう云った。が、辰子の声は、初子のそれに気押《けお》されて、ほとんど聞えないほど低い声だった。けれども俊助は、この始めて聞いた辰子の声の中に、優しい心を裏切るものが潜んでいるような心もちがした。それが彼には心強い気を起させた。
「画と云うと――やはり洋画を御やりになるのですか。」
 相手の声に勇気を得た俊助は、まだ初子と野村とが笑い合っている内に、こう辰子へ問いかけた。辰子はちょいと眼を帯止《おびど》めの翡翠《ひすい》へ落して、
「は。」と、思ったよりもはっきりした返事をした。
「画は却々《なかなか》うまい。優《ゆう》に初子さんの小説と対峙《たいじ》するに足るくらいだ。――だから、辰子さん。僕が好《い》い事を教えて上げましょう。これから初子さんが小説の話をしたら、あなたも盛に画の話をするんです。そうでもしなくっちゃ、体がたまりません。」
 俊助はただ微笑で野村に答えながら、もう一度辰子に声をかけて見た。
「お体は実際お悪いんですか。」
「ええ、心臓が少し――大した事はございませんけれど。」
 するとさっきから退屈そうな顔をして、一同の顔を眺めていた民雄《たみお》が、下からぐいぐい俊助の手をひっぱって、
「辰子さんはね、あすこの梯子段《はしごだん》を上っても、息が切れるんだとさ。僕は二段ずつ一遍にとび上る事が出来るんだぜ。」
 俊助は辰子と顔を見合せて、ようやく心置きのない微笑を交換した。

        十一

 辰子《たつこ》は蒼白い頬《ほお》に片靨《かたえくぼ》を寄せたまま、静に民雄《たみお》から初子《はつこ》へ眼を移して、
「民雄さんはそりゃお強いの。さっきもあの梯子段の手すりへ跨《またが》って、辷《すべ》り下りようとなさるんでしょう。私|吃驚《びっくり》して、墜《お》ちて死んだらどうなさるのって云ったら――ねえ、民雄さん。あなたあの時、僕はまだ死んだ事がないから、どうするかわからないって仰有《おっしゃ》ったわね。私|可笑《おか》しくって――」
「成程《なるほど》ね、こりゃ却々《なかなか》哲学的だ。」
 野村《のむら》はまた誰よりも大きな声で笑い出した。
「まあ、生意気《なまいき》ったらないのね。――だから姉さんがいつでも云うんだわ、民雄さんは莫迦《ばか》だって。」
 部屋の中の火気に蒸されて、一層血色の鮮《あざやか》になった初子が、ちょっと睨《ね》める真似をしながら、こう弟を窘《たしな》めると、民雄はまだ俊助の手をつかまえたまま、
「ううん。僕は莫迦じゃないよ。」
「じゃ利巧《りこう》か?」
 今度は俊助まで口を出した。
「ううん、利巧でもない。」
「じゃ何だい。」
 民雄はこう云った野村の顔を見上げながら、ほとんど滑稽に近い真面目さを眉目《びもく》の間《あいだ》に閃かせて、
「中位《ちゅうぐらい》。」と道破《どうは》した。
 四人は声を合せて失笑した。
「中位《ちゅうぐらい》は好かった。大人《おとな》もそう思ってさえいれば、一生幸福に暮せるのに相違ない。こりゃ初子さんなんぞは殊に拳々服膺《けんけんふくよう》すべき事かも知れませんぜ。辰子さんの方は大丈夫だが――」
 その笑い声が静まった時、野村は広い胸の上に腕を組んで、二人の若い女を見比べた。
「何とでもおっしゃい。今夜は野村さん私ばかりいじめるわね。」
「じゃ僕はどうだ。」
 俊助は冗談《じょうだん》のように野村の矢面《やおもて》に立った。
「君もいかん。君は中位《ちゅうぐらい》を以て自任《じにん》出来ない男だ。――いや、君ばかりじゃない。近代の人間と云うやつは、皆中位で満足出来ない連中だ。そこで勢い、主我的《イゴイスティック》になる。主我的《イゴイスティック》になると云う事は、他人ばかり不幸にすると云う事じゃない。自分までも不幸にすると云う事だ。だから用心しなくっちゃいけない。」
「じゃ君は中位派《ちゅうぐらいは》か。」
「勿論さ。さもなけりゃ、とてもこんな泰然としちゃいられはしない。」
 俊助は憫《あわれ》むような眼つきをして、ちらりと野村の顔を見た。
「だがね、主我的《イゴイスティック》になると云う事は、自分ばかり不幸にする事じゃない。他人までも不幸にする事だ。だろう。そうするといくら中位派でも、世の中の人間が主我的《イゴイスティック》だったら、やっぱり不安だろうじゃないか。だから君のように泰然としていられるためには、中位派たる以上に、主我的《イゴイスティック》でない世の中を――でなくとも、先ず主我的《イゴイスティック》でない君の周囲を信用しなけりゃならないと云う事になる。」
「そりゃまあ信用しているさ。が、君は信用した上でも――待った。一体君は全然人間を当てにしていないのか。」
 俊助はやはり薄笑いをしたまま、しているとも、していないとも答えなかった。初子と辰子との眼がもの珍らしそうに、彼の上へ注がれているのを意識しながら。

        十二

 音楽会が終った後で、俊助《しゅんすけ》はとうとう大井《おおい》と藤沢《ふじさわ》とに引きとめられて、『城』同人《どうじん》の茶話会《さわかい》に出席しなければならなくなった。彼は勿論進まなかった。が、藤沢以外の同人には、多少の好奇心もない事はなかった。しかも切符を貰っている義理合い上、無下《むげ》に断《ことわ》ってしまうのも気の毒だと云う遠慮があった。そこで彼はやむを得ず、大井と藤沢との後について、さっきの次の間《ま》の隣にある、小さな部屋へ通ったのだった。
 通って見ると部屋の中には、もう四五人の大学生が、フロックの清水昌一《しみずしょういち》と一しょに、小さな卓子《テエブル》を囲んでいた。藤沢はその連中を一々俊助に紹介した。その中では近藤《こんどう》と云う独逸《ドイツ》文科《ぶんか》の学生と、花房《はなぶさ》と云う仏蘭西《フランス》文科の学生とが、特に俊助の注意を惹《ひ》いた人物だった。近藤は大井よりも更に背の低い、大きな鼻眼鏡をかけた青年で、『城』同人の中では第一の絵画通と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学《ていこくぶんがく》』へ、堂々たる文展《ぶんてん》の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。もう一人の花房は、一週間以前『鉢《はち》の木《き》』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語《しかこくご》のほかにも、希臘語《ギリシャご》や羅甸語《ラテンご》の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々|本郷通《ほんごうどおり》の古本屋《ふるぼんや》に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。この二人に比《くら》べると、ほかの『城』同人は存外特色に乏しかった。が、身綺麗《みぎれい》な服装の胸へ小さな赤薔薇《あかばら》の造花《ぞうか》をつけている事は、いずれも軌《き》を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣へ腰を下しながら、こう云うハイカラな連中に交《まじ》っている大井篤夫《おおいあつお》の野蛮《やばん》な姿を、滑稽に感ぜずにはいられなかった。
「御蔭様で、今夜は盛会でした。」
 タキシイドを着た藤沢は、女のような柔《やさ》しい声で、まず独唱家《ソロイスト》の清水に挨拶した。
「いや、どうもこの頃は咽喉《のど》を痛めているもんですから――それより『城』の売行きはどうです? もう収支|償《つぐな》うくらいには行くでしょう。」
「いえ、そこまで行ってくれれば本望なんですが――どうせ我々の書く物なんぞが、売れる筈はありゃしません。何しろ人道主義自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから。」
「そうですかね。だがいつまでも、それじゃすまないでしょう。その内に君の『ボオドレエル詩抄』が、羽根《はね》の生えたように売れる時が来るかも知れない。」
 清水は見え透いた御世辞を云いながら、給仕の廻して来た紅茶を受けとると、隣に坐っていた花房《はなぶさ》の方を向いて、
「この間の君の小説は、大へん面白く拝見しましたよ。あれは何から材料を取ったんですか。」
「あれですか。あれはゲスタ・ロマノルムです。」
「はあ、ゲスタ・ロマノルムですか。」
 清水はけげんな顔をしながら、こう好い加減な返事をすると、さっきから鉈豆《なたまめ》の煙管《きせる》できな臭《くさ》い刻《きざ》みを吹かせていた大井が、卓子《テエブル》の上へ頬杖をついて、
「何だい、そのゲスタ・ロマノルムってやつは?」と、無遠慮な問を抛《ほう》りつけた。

        十三

「中世の伝説を集めた本でしてね。十四五世紀の間《あいだ》に出来たものなんですが、何分《なにぶん》原文がひどい羅甸《ラテン》なんで――」
「君にも読めないかい。」
「まあ、どうにかですね。参考にする飜訳《ほんやく》もいろいろありますから。――何でもチョオサアやシェクスピイアも、あれから材料を採《と》ったんだそうです。ですからゲスタ・ロマノルムだって、中々|莫迦《ばか》には出来ませんよ。」
「じゃ君は少くとも材料だけは、チョオサアやシェクスピイアと肩を並べていると云う次第だね。」
 俊助はこう云う問答を聞きながら、妙な事を一つ発見した。それは花房《はなぶさ》の声や態度が、不思議なくらい藤沢《ふじさわ》に酷似《こくじ》していると云う事だった。もし離魂病《りこんびょう》と云うものがあるとしたならば、花房は正に藤沢の離魂体《ドッペルゲンゲル》とも見るべき人間だった。が、どちらが正体《しょうたい》でどちらが影法師《かげぼうし》だか、その辺の際どい消息になると、まだ俊助にははっきりと見定めをつける事がむずかしかった。だから彼は花房の饒舌《しゃべ》っている間も、時々胸の赤薔薇《あかばら》を気にしている藤沢を偸《ぬす》み見ずにはいられなかった。
 すると今度はその藤沢が、縁《ふち》に繍《ぬい》のある手巾《ハンケチ》で紅茶を飲んだ口もとを拭いながら、また隣の独唱家《ソロイスト》の方を向いて、
「この四月には『城』も特別号を出しますから、その前後には近藤《こんどう》さんを一つ煩《わずら》わせて、展覧会を開こうと思っています。」
「それも妙案ですな。が、展覧会と云うと、何ですか、やはり諸君の作品だけを――」
「ええ、近藤さんの木版画と、花房さんや私《わたし》の油絵と――それから西洋の画の写真版とを陳列しようかと思っているんです。ただ、そうなると、警視庁がまた裸体画は撤回《てっかい》しろなぞとやかましい事を云いそうでしてね。」
「僕の木版画は大丈夫だが、君や花房君の油絵は危険だぜ。殊に君の『Utamaro の黄昏《たそがれ》』に至っちゃ――あなたはあれを御覧になった事がありますか。」
 こう云って、鼻眼鏡の近藤はマドロス・パイプの煙を吐きながら、流し眼にじろりと俊助の方を見た。と、俊助がまだ答えない内に、卓子《テエブル》の向うから藤沢が口を挟《はさ》んで、
「そりゃ君、まだ御覧にならないのですよ。いずれその内に、御眼にかけようとは思っているんですが――安田さんは絵本歌枕《えほんうたまくら》と云うものを御覧になった事がありますか。ありません? 私の『Utamaro の黄昏』は、あの中の一枚を装飾的に描《か》いたものなんです。行き方は――と、近藤さん、あれは何と云ったら好いんでしょう。モオリス・ドニでもなし、そうかと云って――」
 近藤は鼻眼鏡の後《うしろ》の眼を閉じてしばらく考に耽《ふけ》っていたが、やがて重々しい口を開こうとすると、また大井が横合いから、鉈豆《なたまめ》の煙管《きせる》を啣《くわ》えたままで、
「つまり君、春画《しゅんが》みたいなものなんだろう。」と、乱暴な註釈を施《ほどこ》してしまった。
 ところが藤沢は存外不快にも思わなかったと見えて、例のごとく無気味《ぶきみ》なほど柔しい微笑を漂わせながら、
「ええ、そう云えば一番早いかも知れませんね。」と、恬然《てんぜん》として大井に賛成した。

        十四

「成程、そりゃ面白そうだ。――ところでどうでしょう、春画《しゅんが》などと云う物は、やっぱり西洋の方が発達しているんですか。」
 清水《しみず》がこう尋《たず》ねたのを潮《しお》に、近藤《こんどう》は悠然とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の素読《そどく》でもしそうな声で、徐《おもむろ》に西洋の恁《こ》うした画の講釈をし始めた。
「一概に春画と云いますが、まあざっと三種類に区別するのが至当なので、第一は××××を描いたもの、第二はその前後だけを描いたもの、第三は単に××××を描いたもの――」
 俊助《しゅんすけ》は勿論こう云う話題に、一種の義憤を発するほど、道徳家でないには相違なかった。けれども彼には近藤の美的|偽善《ぎぜん》とも称すべきものが――自家の卑猥《ひわい》な興味の上へ芸術的と云う金箔《きんぱく》を塗りつけるのが、不愉快だったのもまた事実だった。だから近藤が得意になって、さも芸術の極致が、こうした画にあるような、いかがわしい口吻《こうふん》を弄《ろう》し出すと、俊助は義理にも、金口《きんぐち》の煙に隠れて、顔をしかめない訳には行かなかった。が、近藤はそんな事には更に気がつかなかったものと見えて、上《かみ》は古代|希臘《ギリシャ》の陶画から下《しも》は近代|仏蘭西《フランス》の石版画まで、ありとあらゆるこうした画の形式を一々詳しく説明してから、
「そこで面白い事にはですね、あの真面目《まじめ》そうなレムブラントやデュラアまでが、斯《こ》ういう画を描《か》いているんです。しかもレムブラントのやつなんぞは、やっぱり例のレムブラント光線が、ぱっと一箇所に落ちているんだから、振《ふる》っているじゃありませんか。つまりああ云う天才でも、やっぱりこの方面へ手を出すぐらいな俗気《ぞくき》は十分あったんで――まあ、その点は我々と似たり寄ったりだったんでしょう。」
 俊助はいよいよ聞き苦しくなった。すると今まで卓子《テエブル》の上へ頬杖《ほおづえ》をついて、半ば眼をつぶっていた大井《おおい》が、にやりと莫迦《ばか》にしたような微笑を洩《もら》すと、欠伸《あくび》を噛み殺したような声を出して、
「おい、君、序《ついで》にレムブラントもデュラアも、我々同様|屁《へ》を垂れたと云う考証を発表して見ちゃどうだ。」
 近藤は大きな鼻眼鏡の後《うしろ》から、険《けわ》しい視線を大井へ飛ばせたが、大井は一向《いっこう》平気な顔で、鉈豆《なたまめ》の煙管《きせる》をすぱすぱやりなが

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杉田 穏子 - 青山学院女子短期大学 教員情報スギタ ヤスコ 杉田 穏子 青山学院女子短期大学 子ども学科 准教授. ■ 担当科目 ... 公立新見女子短期大学 (現 新見公立短期大学)幼児教育科助教授. 四国学院大学社会学社会福祉学助教授. 四国学院大学大学院社会学研究科社会福祉専攻助教授(兼担 ...
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Category:日本の学生新聞

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Category:日本の学生新聞

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カテゴリ: 日本の新聞 | 日本の学生生活 | 日本の学生運動



最終更新 2010年2月1日 (月) 20:08

万葉集  中西進

【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
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google【●●● ■■■】 の検索結果 約 12万2000 件=2010-2-14

1位
●●● - Wikipedia ●●●(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本の古典文学者、万葉学者(文学博士)。 ... 奈良テレビ放送にて、『中西進の万葉こころ旅』 (土曜日20:55〜21:00、日曜日18:10〜18:15再放送)放送中。第7回奈良県観光PR大賞特別賞受賞 ...

来歴・人物 - 役職 - 受賞歴 - 論説
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ようこそ「●●●の万葉みらい塾」へ - 万葉文化館奈良県立万葉文化館では、●●●館長自らが全国の学校に出向いて子どもたちに. 『■■■』を中心とした古代の心の豊かさを伝える「万葉みらい塾」を平成15年. 度から開催しています。 この特別授業は、「子どもの教育にこそ未来があり、感性豊かな ...
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ようこそ「●●●の万葉みらい塾」へ『●●●万葉論集』(全8巻、講談社). 『■■■全訳注』(講談社文庫). 『●●● 日本文化をよむ』(全6巻、小沢書店) ... 『●●●の万葉こゝろ旅』(奈良テレビ放送). 『国家を築いた しなやかな日本知』(ウェッジ) ほか多数、 ...
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Amazon.co.jp: ■■■ 1 (講談社文庫 古 6-1): ●●●: 本Amazon.co.jp: ■■■ 1 (講談社文庫 古 6-1): ●●●: 本. ... 現代の万葉学第一人者■■■全訳注原文付き4巻および別巻として■■■辞典があります。 ■■■すべての歌について読み下し、原典校訂、注釈、現代語訳がされており、■■■を全て読んで ...
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●●●の万葉こゝろ奈良テレビ放送で好評放送中の「●●●の万葉こゝろ旅」のDVD版。 現代人が忘れかけている大切なものが、万葉の歌には秘められています。 この機会に、あなたもぜひご家庭で■■■の第一人者 ●●●先生と 万葉の地を訪ねる旅に出てみませんか ...
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■■■ 全訳注原文付(全3巻)●●●著作集2008年1月25日 ... 【著者略歴】●●●(なかにし・すすむ). 東京都出身。東京大学大学院の学位論文「■■■の比較文学的研究」によって、 ... すでに著作集「●●●集」8巻、「日本文化をよむ」6巻を編集したがさらに目下「●●●著作集」36巻を編集刊行 ...
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■■■ ●●●日本最古の歌集「■■■」全四冊と、別冊の■■■辞典です。 本書は奈良県明日香村にある「万葉文化館」の館長でもある、●●●氏によって原文、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に豊富な内容となっています。 たぶん、「■■■」そのものとして ...
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google【検索の達人   ●●●  ■■■】 の検索結果 約 537 件=2010-2-14

1位
国家を築いたしなやかな日本知 ウェッジの書籍『■■■』など古代文学の比較研究を主に、日本文化の全体像、精神史の研究・評論活動で知られる。読売文学賞日本学士院賞和辻哲郎文化賞、大 佛次郎賞ほか受賞。著書に『日本人の忘れもの』全3巻、『●●●と歩く万葉の大和路』『万葉を旅 ...
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2位
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【■■■】&【●●●】=NHK『■■■(●●●・林望)』. 【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入! 高大連携情報誌 調べもの新聞【ブログ=穴埋め・論述問題】 の検索結果 約 103万 件 2009-5-31 6:20 NHK教育万葉集 ? ...
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【●●進】



●●●(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本の古典文学者、万葉学者(文学博士)。

来歴・人物 [編集]
東京出身。【●●大学】【●学部】【●●学科】卒業。同大学院博士課程修了。【●●潜一】に学び、30代で博士論文『万葉集比較文学的研究』により1963年第15回【読●●学賞】受賞。以後日本古代文学の中国文学との比較研究を始め、【日本文化】の全体像を視野におさめた研究・評論活動、グローバルな視点からの文化論を展開している。漢字本文・現代語訳・簡潔な注を収めた、文庫本としては画期的な『万葉集』のテキスト講談社文庫『万葉集』(全4冊と万葉集事典1冊)を編集し、『万葉集』の普及に努めた。みずみずしい感覚で『万葉集』を始めとする日本古典文学を読み解いた研究書・評論書も多数。著書は100冊を超える。【日本●●クラブ】、【日本●●文学会】などでも活躍。【全国大学国語●●●会会長】としても、日本文学・日本語研究の未来を見据えた活動を進めている。

【●城大学】教授、【プ●●●●ン大学】【客●教授】、【●波大学】教授、1988年【国際日本文化研究●●●ー】教授、【●●●ト大学】客員教授、1995年【●●山学院大学】教授、同国際理解研究所所長、【姫●文学館】館長、1997年【大●女子大学】学長、2001年【●塚山学院】理事長・学院長、2004年【●●市立芸術大学】学長(−2007)を歴任。【日本比較文●●】会長、歌壇賞の選考委員、【●●ペンクラブ】副会長も務めた。1994年【歌会始の召●】をつとめる。1997年より【全国●●国語国文学会】会長(当初「代表理事」、組織改変後「会長」)。

世界の【宗教的和●】を目指す、インドの【仏教】高等研究センター【「●ーラ●●大学」】の復興・創設にかかわっている。

役職 [編集]
奈良県立●●文化館館長】、【京都●立中央図書館】館長、【●●聖子文学館】館長、【堺市●物館】館長、【●●日本文化研究センター】名誉教授、【京都●●芸術大学】名誉教授、【奈良●●●テレビ放送】文化スタジオ・こころ大学学長、【平城●●1300年記念事業協会】理事。【NARA万葉世界●】・【親鸞●】・【読売あをによし●】各【選考●●】。

その他 [編集]
【高校教師時代の教え子】に、【エジプト考古学者】の【●●作治】(【早●●大学教授】)や、【プリ●●●●大学】時代の学生に【●ービ英●】(【法●大学】教授)がいる。
【『真●の小箱』】(毎日放送)にしばしば出演していた。
奈良テレビ放送にて、『●●●の万葉こころ旅』 (土曜日20:55〜21:00、日曜日18:10〜18:15再放送)放送中。第7回奈良県観光PR大賞特別賞受賞
小学生に万葉の魅力を伝えるため、【「万●みらい●」】を開催し精力的に全国の【●学校】を訪れ、大変に好評を得ている。
朝食は摂らない。【●●時間】は3〜4時間。
大のふくろう好きで、【●くろう】に関する事物を多数収集している。
朝自宅から【●叡山】が見えると、その日1日気分がいいらしい。
趣味は絵画鑑賞。
お風呂上りは毎日、アイスクリームを食べる。特に小岩井農場のアイスが好き。


関連人物 [編集]
犬養孝
犬飼公之
東茂美
辰巳正明
森斌
山田直巳
五木寛之
司馬遼太郎
梅原猛
上田正昭
上野誠
松岡正剛
吉村作治
リービ英雄
柿本善也
河合隼雄
山折哲雄
伊東俊太郎
芳賀徹
千田稔
関連リンク [編集]
中西進の万葉こころ旅
万葉文化館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E9%80%B2」より作成
カテゴリ: 万葉学者 | 国文学者 | 文化功労者 | 東京都出身の人物 | 1929年生


最終更新 2010年1月14日 (木) 14:46




【追伸】=昭和37年4月〜38年3月 一橋学院で講師

【参考】





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google中西進 万葉集】 の検索結果 約 12万2000 件=2010-2-14

1位
中西進 - Wikipedia中西 進(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本の古典文学者、万葉学者(文学博士)。 ... 奈良テレビ放送にて、『中西進の万葉こころ旅』 (土曜日20:55〜21:00、日曜日18:10〜18:15再放送)放送中。第7回奈良県観光PR大賞特別賞受賞 ...

来歴・人物 - 役職 - 受賞歴 - 論説
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ようこそ「中西進の万葉みらい塾」へ - 万葉文化館奈良県立万葉文化館では、中西進館長自らが全国の学校に出向いて子どもたちに. 『万葉集』を中心とした古代の心の豊かさを伝える「万葉みらい塾」を平成15年. 度から開催しています。 この特別授業は、「子どもの教育にこそ未来があり、感性豊かな ...
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ようこそ「中西進の万葉みらい塾」へ『中西進万葉論集』(全8巻、講談社). 『万葉集全訳注』(講談社文庫). 『中西進 日本文化をよむ』(全6巻、小沢書店) ... 『中西進の万葉こゝろ旅』(奈良テレビ放送). 『国家を築いた しなやかな日本知』(ウェッジ) ほか多数、 ...
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Amazon.co.jp万葉集 1 (講談社文庫 古 6-1): 中西 進: 本Amazon.co.jp万葉集 1 (講談社文庫 古 6-1): 中西 進: 本. ... 現代の万葉学第一人者中西進全訳注原文付き4巻および別巻として万葉集辞典があります。 万葉集すべての歌について読み下し、原典校訂、注釈、現代語訳がされており、万葉集を全て読んで ...
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中西進の万葉こゝろ奈良テレビ放送で好評放送中の「中西進の万葉こゝろ旅」のDVD版。 現代人が忘れかけている大切なものが、万葉の歌には秘められています。 この機会に、あなたもぜひご家庭で万葉集の第一人者 中西進先生と 万葉の地を訪ねる旅に出てみませんか ...
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万葉集 全訳注原文付(全3巻)中西進著作集2008年1月25日 ... 【著者略歴】中西 進(なかにし・すすむ). 東京都出身。東京大学大学院の学位論文「万葉集比較文学的研究」によって、 ... すでに著作集「万葉論集」8巻、「日本文化をよむ」6巻を編集したがさらに目下「中西進著作集」36巻を編集刊行 ...
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万葉集 中西進日本最古の歌集「万葉集」全四冊と、別冊の万葉集辞典です。 本書は奈良県明日香村にある「万葉文化館」の館長でもある、中西進氏によって原文、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に豊富な内容となっています。 たぶん、「万葉集」そのものとして ...
tanka.michikusa.jp/manyou-syu.html - キャッシュ - 類似ページ -Nippon Archives || 万葉集〜ココロ・ニ・マド・ヲ〜 || 特集 中西先生 ...主要著書として『万葉集比較文学的研究』(読売文学賞)『万葉史の研究』(前著とともに日本学士院賞)『万葉と海彼』(和辻哲郎文化賞)『源氏物語と白楽天』(大佛次郎賞)『中西進の万葉こゝろ旅』(奈良テレビ放送文化賞)などがあり、『中西進万葉 ...
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その他 中西進万葉論集 第5巻 万葉史の研究 下 goo ?çÃÔó°中西進万葉論集 第5巻 万葉史の研究 下 中西進万葉論集.
shope.goo.ne.jp/se/goods_detail/25262/61000100_01338622.html - 中西進万葉論集 第七巻 万葉集原論 柿本人麻呂 中西進 講談社講談社:中西進万葉論集 第七巻 万葉集原論 柿本人麻呂:中西進.
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1位
国家を築いたしなやかな日本知 ウェッジの書籍『万葉集』など古代文学の比較研究を主に、日本文化の全体像、精神史の研究・評論活動で知られる。読売文学賞日本学士院賞和辻哲郎文化賞、大 佛次郎賞ほか受賞。著書に『日本人の忘れもの』全3巻、『中西進と歩く万葉の大和路』『万葉を旅 ...
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万葉集】&【中西進】=NHK万葉集中西進林望)』. 【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入! 高大連携情報誌 調べもの新聞【ブログ=穴埋め・論述問題】 の検索結果 約 103万 件 2009-5-31 6:20 NHK教育万葉集 ? ...
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中西進

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中西 進(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本の古典文学者、万葉学者(文学博士)。

目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 役職
3 受賞歴
4 論説
5 その他
6 著書
7 編著共著
8 関連人物
9 関連リンク

来歴・人物 [編集]
東京出身。東京大学文学部国文学科卒業。同大学院博士課程修了。久松潜一に学び、30代で博士論文『万葉集比較文学的研究』により1963年第15回読売文学賞受賞。以後日本古代文学の中国文学との比較研究を始め、日本文化の全体像を視野におさめた研究・評論活動、グローバルな視点からの文化論を展開している。漢字本文・現代語訳・簡潔な注を収めた、文庫本としては画期的な『万葉集』のテキスト講談社文庫『万葉集』(全4冊と万葉集事典1冊)を編集し、『万葉集』の普及に努めた。みずみずしい感覚で『万葉集』を始めとする日本古典文学を読み解いた研究書・評論書も多数。著書は100冊を超える。日本ペンクラブ日本比較文学会などでも活躍。全国大学国語国文学会会長としても、日本文学・日本語研究の未来を見据えた活動を進めている。

成城大学教授、プリンストン大学客員教授筑波大学教授、1988年国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授、1995年帝塚山学院大学教授、同国際理解研究所所長、姫路文学館館長、1997年大阪女子大学学長、2001年帝塚山学院理事長・学院長、2004年京都市立芸術大学学長(−2007)を歴任。日本比較文学会会長、歌壇賞の選考委員、日本ペンクラブ副会長も務めた。1994年歌会始の召人をつとめる。1997年より全国大学国語国文学会会長(当初「代表理事」、組織改変後「会長」)。

世界の宗教的和解を目指す、インドの仏教高等研究センター「ナーランダ大学」の復興・創設にかかわっている。

役職 [編集]
奈良県立万葉文化館館長、京都市立中央図書館館長、田辺聖子文学館館長、堺市博物館館長、国際日本文化研究センター名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、奈良テレビ放送文化スタジオ・こころ大学学長、平城遷都1300年記念事業協会理事。NARA万葉世界賞・親鸞賞・読売あをによし賞各選考委員。

受賞歴 [編集]
1963年第15回読売文学賞(『万葉集比較文学的研究』)。
1970年日本学士院賞(『万葉史の研究』)。
1990年第3回和辻哲郎文化賞(『万葉と海彼』)。
1997年24回大佛次郎賞(『源氏物語と白楽天』)。
2002年京都新聞文化賞。
2004年奈良テレビ放送文化賞。
2004年文化功労者
2005年瑞宝重光章受章。
論説 [編集]
山上憶良朝鮮半島からの渡来人とする説を提唱し、万葉時代の東アジアの文化交流の研究に大きな影響を与えた

その他 [編集]
高校教師時代の教え子に、エジプト考古学者の吉村作治早稲田大学教授)や、プリンストン大学時代の学生にリービ英雄(法政大学教授)がいる。
『真珠の小箱』(毎日放送)にしばしば出演していた。
奈良テレビ放送にて、『中西進の万葉こころ旅』 (土曜日20:55〜21:00、日曜日18:10〜18:15再放送)放送中。第7回奈良県観光PR大賞特別賞受賞
小学生に万葉の魅力を伝えるため、「万葉みらい塾」を開催し精力的に全国の小学校を訪れ、大変に好評を得ている。
朝食は摂らない。睡眠時間は3〜4時間。
大のふくろう好きで、ふくろうに関する事物を多数収集している。
朝自宅から比叡山が見えると、その日1日気分がいいらしい。
趣味は絵画鑑賞。
お風呂上りは毎日、アイスクリームを食べる。特に小岩井農場のアイスが好き。
著書 [編集]
万葉集比較文学的研究 南雲堂桜楓社 1963 のち桜楓社(3分冊)
古今六帖の万葉歌 武蔵野書院 1964 〔類題歌集『古今和歌六帖』の基礎研究〕
万葉史の研究 桜楓社 1968
滅びゆく万葉大和路 角川書店 1968
柿本人麻呂(日本詩人選) 筑摩書房 1970 のち講談社学術文庫
万葉の詩と詩人 弥生書房 1972
万葉の心 毎日新聞社 1972 (日本の心シリーズ)
万葉の大和 毎日新聞社 1972
山上憶良 河出書房新社 1973
万葉の世界 中公新書 1973
古代十一章 毎日新聞社 1974
天智伝 中公叢書 1975 のち中公文庫
詩心往還 河出書房新社 1975
神々と人間 講談社現代新書 1975
万葉集原論 桜楓社 1976
万葉集 鑑賞日本古典文学第3巻 角川書店 1977
万葉の花 保育社 1977 (カラーブックス)
漂泊 日本的心性の始原 毎日新聞社 1978
日本人の愛の歴史 古典の主人公たち 角川選書 1978
雪の匂い 弥生書房 1980
万葉の時代と風土 万葉読本1 角川選書 1980
雪月花 小沢書店 1980
万葉の歌びとたち 万葉読本2 角川選書 1980
古典と日本人 弥生書房 1981
万葉集入門 その歴史と文学 角川文庫 1981
万葉の長歌 古典鑑賞 教育出版 1981
谷蟆考 古代人と自然 小沢書店 1982
万葉の秀歌(上・下) 講談社現代新書 1984
遠景の歌 小沢書店 1985
古事記をよむ 1-4 角川書店 1985-86
旅に棲む 高橋虫麻呂角川書店 1985 のち中公文庫
辞世のことば 中公新書 1986
万葉百景 平凡社 1986
万葉のことばと四季 万葉読本3 角川選書 1986
狂の精神史 講談社文庫 1987
非凡者光と影 時事通信社 1988
日本文学と死 新典社 1989 (叢刊・日本の文学)
古代うた紀行 角川選書 1989
父の手 本阿弥書店 1989
万葉と海彼 角川書店 1990
日本神話の世界 平凡社 1991
神話力 日本神話を創造するもの 桜楓社 1991
日本人のこころ 大修館書店 1992
ユートピア幻想 万葉びとと神仙思想 大修館書店 1993
中西進日本文化をよむ(全6巻、小沢書店)1994-96(選集)
大伴家持 万葉歌人の歌と生涯 全6巻 角川書店 1994-95
キリストと大国主 誰も知らなかった古代日本の中の「世界」 文藝春秋 1994
古代日本人の宇宙観 日本放送出版協会 1994 (NHK人間大学)
放埒の夢 わが心の現代詩歌 有学書林 1995
中西進万葉論集(全8巻) 講談社 1995-96
花のかたち 日本人と桜 古典/近代 角川書店 1995
源氏物語と白楽天 岩波書店 1997
日本人とは何か 講談社 1997
聖武天皇−巨大な夢を生きる PHP新書 1998
万葉時代の日本人 潮出版社 1998 (潮ライブラリー)
ことばの風景 角川春樹事務所 1999
万葉歌人の愛そして悲劇 憶良と家持 日本放送出版協会 2000 (NHKライブラリー)
中西進と歩く万葉の大和路 ウェッジ 2001
古代日本人・心の宇宙 日本放送出版協会 2001 (NHKライブラリー)
日本人の忘れもの(1−3) ウェッジ 2001−2004 のち文庫
「謎に迫る」古代史講座 PHP研究所 2002
日本人こころの風景 創元社, 2002
入江泰吉万葉花さんぽ 小学館文庫 2003
傍注万葉秀歌選(全3巻) 四季社 2003
ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ 小学館 2003 のち新潮文庫
日本文学と漢詩 外国文学の受容について 岩波セミナーブックス 2004
万葉を旅する ウェッジ 2005
日本のかたち こころの風景から 産経新聞出版, 2005
中西進の万葉みらい塾 朝日新聞社 2005
日本語の力 集英社文庫 2006
詩心 永遠なるものへ 中公新書 2006
国家を築いたしなやかな日本知 ウェッジ 2006
これから 日本人が歩いていく道 四季社 2006
詩をよむ歓び 麗澤大学出版会 2007
中西進著作集(全36巻) 四季社 2007−
古代文学の生成 おうふう 2007
中西進と読む「東海道中膝栗毛」 ウェッジ 2007
中西進と歩く百人一首の京都 京都新聞出版センター 2007
美しい日本語の風景 淡交社 2008
古代往還 文化の普遍に出会う 中公新書 2008
CD全10巻 万葉秀歌を旅する アートデイズ 2008
編著共著 [編集]
万葉集』全訳注、全4冊別巻1(講談社文庫)1978−85
上代日本文学史 有斐閣双書 1979
日本文学新史 古代 1 至文堂 1985
大伴家持 人と作品 桜楓社 1985
日本文学の構造 小西甚一共編 創樹社 1987
柿本人麻呂 人と作品 桜楓社 1989
日本文学と外国文学 入門比較文学 松村昌家共編 英宝社 1990
山上憶良 人と作品 桜楓社 1991
漢字文化を考える 山本七平共編著 大修館書店 1991
古代の祭式と思想 東アジアの中の日本 角川選書 1991
謎の王国・渤海 安田喜憲共編 角川選書 1992
万葉集を学ぶ人のために 世界思想社 1992
日本文学における「私」 河出書房新社 1993
エミシとは何か 古代東アジアと北方日本 角川選書店 1993
南方神話と古代の日本 角川選書 1995
霊魂をめぐる日本の深層 梅原猛共編 角川選書 1996
花の変奏 花と日本文化 辻惟雄共編 ぺりかん社 1997
大伴旅人 人と作品 おうふう 1998
日本の想像力 JDC 1998
坂上郎女 人と作品 おうふう 1998
万葉びとの心と暮らし 仏教文化の開花 作品社 2003 (史話日本の古代第7巻)
石川忠久中西進漢詩歓談 大修館書店 2004
女流歌人(額田王・笠郎女・茅上娘子)人と作品 おうふう 2005
笠金村・高橋虫麻呂田辺福麻呂人と作品 おうふう 2005
高市黒人山部赤人人と作品 おうふう 2005
中西進の万葉こゝろ奈良テレビ放送 2006
関連人物 [編集]
犬養孝
犬飼公之
東茂美
辰巳正明
森斌
山田直巳
五木寛之
司馬遼太郎
梅原猛
上田正昭
上野誠
松岡正剛
吉村作治
リービ英雄
柿本善也
河合隼雄
山折哲雄
伊東俊太郎
芳賀徹
千田稔
関連リンク [編集]
中西進の万葉こころ旅
万葉文化館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E9%80%B2」より作成
カテゴリ: 万葉学者 | 国文学者 | 文化功労者 | 東京都出身の人物 | 1929年生


最終更新 2010年1月14日 (木) 14:46